バロック芸術の成立
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「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」の記事における「バロック芸術の成立」の解説
カラヴァッジョは「陰 (oscuro) をキアロスクーロ (chiaroscuro) へと昇華した」といわれる。キアロスクーロ自体はカラヴァッジョ以前から長らく使われてきた手法だが、一方向からまばゆく射す光を光源として段階的な陰影をつけて描かれた対象物を浮かび上がらせる表現はカラヴァッジョが絵画技法として確立したものである。カラヴァッジョが持っていた肉体面、精神面両方に対する鋭い写実的な観察眼によって成立したもので、とくに宗教絵画においてカラヴァッジョが直面した数々の課題を通じて形成されていった。カラヴァッジョの絵画制作速度は非常に速く、モデルを前にしたまま基本的な部分を最後まで描き上げることが出来た。カラヴァッジョが描いた下絵(ドローイング)はほとんど現存しておらず、このことはカラヴァッジョが紙などに下絵を描くことなく、キャンバスにいきなり描き始める手法を好んでいたためと考えられている。これは当時の熟練した画家たちからは忌み嫌われていた手法で、旧来の画家からはカラヴァッジョが下絵から描き始めないことと、人物像を理想化して描かないことを声高に非難された。しかしながら、人物を理想化することなく写実的に描くことはカラヴァッジョにとってはごく当然のことだった。 写実的に絵画に描かれた人物像のモデルが誰なのかが判別している者もいる。よく知られているのは後にカラヴァッジョの作風を受け継いだ画家となったマリオ・ ミンニーティとフランチェスコ・ボネリで、ミンニーティは初期の世俗的な作品に、ボネリは天使、洗礼者ヨハネ、ダビデとしてカラヴァッジョ後期の作品にそれぞれ描かれている。女性モデルには『フィリデの肖像 (Portrait of Fillide)』(1597年 - 1599年)に描かれているフィリデ・メランドローニ、『聖マタイとマグダラのマリア』に描かれているアンナ・ビアンキーニ、法廷記録の「アーティチョーク事件」にレナという名前で記載されているカラヴァッジョの愛人マッダレーナ・アントネッティらがいるが、全員が当時有名だった娼婦であり、カラヴァッジョは彼女たちを聖母マリアなど様々な聖人のモデルとして多くの宗教絵画に描いた。カラヴァッジョは自身の肖像も数枚の絵画に登場人物として描いている。最後の自画像は『聖ウルスラの殉教 (The Martyrdom of Saint Ursula)』の右端に描かれている男性像である。 カラヴァッジョは決定的な瞬間を誰にも真似できないほどに鮮やかに切り取って描く優れた能力を持っていた。『エマオの晩餐』はキリストの弟子だったクレオパが、夕食をともにしている人物が復活したキリストだと気がつく場面を描いた絵画で、直前までメシアの死を嘆く旅人であり宿屋の主人が目もくれていなかった人物だったものが、突然救世主として再臨したその瞬間を劇的に表現した作品である。『聖マタイの召命』ではマタイが自分を指差して「私ですか?」と問いかけているかのように描かれているが、その両目はキリストに注がれ「私は貴方のしもべです」と応えており、マタイが自分の使命に目覚めた瞬間を描き出した絵画である。『ラザロの蘇生』では死人が復活する瞬間を捉えたさらに進んだ表現がなされている。ラザロの胴体は断末魔の死後硬直の状態にあるが、手はすでに復活しキリストのほうを向いている。
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