バックグラウンドとリリース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 23:09 UTC 版)
「レイ・オブ・ライト (マドンナの曲)」の記事における「バックグラウンドとリリース」の解説
1996年、マドンナは娘のルルドを出産したり、東方の神秘主義やカバラに興味を持ったり、ミュージカル『「エビータ」』の映画化では主演を務めるなど、多くの「人生を変える経験」を経験した。1年後、彼女は7枚目のスタジオ・アルバムで『レイ・オブ・ライト』の制作に取り掛かる。マドンナは、アルバムの為にウィリアム・オービット、パトリック・レナード、リック・ノウェルズ、ベイビーフェイスらと一緒に曲を書いた 。このアルバムは彼女の人生に起こったそれらの変化を反映したものとなっている。著者のキャロル・ベンソンは、アルバムが「とても精神的なダンス・レコード」であり、それらは彼女のキャリア、旅、そしてアイデンティティがベースになっているであろうと推定した。子供を産んで育てるという事は彼女の感情をよりマイルドなものにし、それが歌に反映されている。彼女のアイデアとしてはこれまでのダンスナンバーよりより深く、パーソナルなものにしたいと語っていた 。 マーヴェリック・レコードでマドンナのマネージャーを務めるガイ・オセアリーがウィリアム・オービットに電話をかけ、いくつかの曲をマドンナに送って欲しいと提案した後、オービットはアルバムの核として深く関わる事となった 。彼は13曲入りのデジタルオーディオテープ(DAT)をマドンナに送ったが、「レイ・オブ・ライト」はその中の一曲だった。楽曲は英国のフォークミュージックデュオ、カーティス・マドゥーンによるトラック「Sepheryn」(1971)をベースにしている 。1996年、マルドゥーンの姪である英国のシンガーソングライター、クリスティン・リーチはデュオの作品はもちろん、その中でも「セフェリン」を大変気にいっており、彼女のバージョンの「セフェリン」を録音した、オービットはそのデモ制作に関わっており、その際彼が取り組んでいたメロディーの上に「Sepheryn」を被せたデモを録音した、この時リーチはコーラスを書き直し、元の曲から数ビットを取り除いている 。オービットは、その曲についてリーチが曲を書いたものと考えてDATに含めていた。そのDATに収められていたその曲を聴いたマドンナは楽曲を気に入り、新たに歌詞を書き直して楽曲を完成させた 。 楽曲は1998年4月27日にイギリスでアルバムからのセカンド・シングルとしてリリースされた 。米国では、1998年6月23日に、40,000部のシングルのミュージック・ビデオとともに、リリースされた。カーチスは、マドンナが「セフェリン」を「レイ・オブ・ライト」として録音している事をラジオから流れてくる楽曲を聴いて初めて知った。彼は「信じられなかった」とし、最初は少し腹立たしく思ったものの、マドンナが彼の楽曲を使った事に満足を感じた。彼はまた、楽曲のソングライターの一人として受け取った15%の使用料にも満足していた。この楽曲のロイヤルティはマドンナが30%を受け取り、その他の15%はマルドゥーンのエステートに与えられ、残りはマドンナのレコード会社が獲得している。。マドンナはこの曲について「元のバージョンの長さは10分をはるかに超えていた。私はそのバージョンが大好きだった。しかし適度な曲の長さにカットする事になりそれは悲痛な事だった」と述べている。オリジナルのバージョンは『ベロニカ・エレクトロニカ』というリミックス・アルバムに収録される予定だったが、そのアルバムが結局リリースされる事は無かった 。カーティスは2017年1月の雑誌オーストラリアンのインタビューの中で、「Sepheryn」のコンテンポラリージャズ・バージョンを録音したことを語っている。
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