バックグラウンドとライティング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:06 UTC 版)
「MUSIC (マドンナの曲)」の記事における「バックグラウンドとライティング」の解説
7枚目のスタジオ・アルバムである「レイ・オブ・ライト」(1998)での評論と商業的な成功の後、マドンナは1999年に新しいコンサート・ツアーに着手するつもりだったが、映画『2番目に幸せなこと』のプロダクションの遅れのためにツアーはキャンセルされた 。2000年までに、マドンナはガイ・リッチー監督と交際をしていて、子供を妊娠していた。妊娠を取り巻くメディアの熱狂から気をそらしたいと思った彼女は、8枚目のスタジオ・アルバム『ミュージック』の制作に専念する事にした 。『レイ・オブ・ライト』の成功により、マドンナはレコーディングに熱心になり、写真家のステファン・セドゥナウイを通じて、フランスのDJ兼プロデューサーのミルウェイズアフマザイを紹介してもらった 。 マドンナはCNNとのインタビューの中で、マーヴェリック・レコードでのパートナーであるガイ・オセアリーからミルウェイズ・アフマザイというフランス人アーティストからのデモを貰ったことを回想した。米国ではほとんど知られていないミルウェイズがマーベリックと契約すべきかどうかについての意見をマドンナに仰いだのだ 。アフマザイは常に音楽的なリスクを冒すことを好んでいたため、マドンナとのコラボレーションを通じてマドンナを最大限に活用したいと考えていた。 「チャレンジで何かしら彼女のパーソナリティに隠れていたものを表す事が出来る。誰もがマドンナをカメレオン、もしくは実業家として捉えているが、私は彼女のミュージシャンとしての可能性を示したかったんだ」と語った。 『レイ・オブ・ライト』が内省的なムードだったのに対し、マドンナは新しいアルバムでは弾ける準備が出来ており、タイトル・トラックには彼女自身を「今にも湧き出しそうな動物」のようにさせるものを欲しがった 。マドンナは楽曲の制作のインスピレーションとして、彼女がニューヨーク市のビーコン劇場で鑑賞したスティングのコンサートを挙げた。そのコンサートで観客は最初行儀が良かったが、スティングが彼のバンド、ポリスによる古いヒット曲を演奏し始めると「ヒット曲が始まった途端に人々は抑制と礼儀正しさを失い、誰もが手を握り合っていた。その光景は本当に私を感動させたの」と彼女はローリングストーンのジャン・シーダンにそう語った。 「そして、 『それが音楽が人々に与えるものなんだ』と思った」。この経験から、マドンナは「音楽は人々を結びつける/音楽はブルジョアジーと反逆者を作る」という曲の主要なフックのインスピレーションを得た 。
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