トーマス・ロジャーズの時代
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「ロジャーズ・ロコモティブ・ワークス」の記事における「トーマス・ロジャーズの時代」の解説
ロジャーズ・ロコモティブ・ワークスの創業は、1831年である。トーマス・ロジャーズは、20年近くの間織機の設計製造をしていたが、その年の6月にゴドウィン・ロジャーズ社に売却して、一人でパターソンに新しい工場を起こし、ジェファーソン・ワークスと呼ばれた。ロジャーズが会社を主要な機関車メーカーに変えるのを手伝う2人の男に会う前に、ジェファーソンWorksは1年間織物と農業機械を製造した。 1832年に、ロジャーズはニューヨークのモリス・ケッチャムとジャスパー・グローブナーとの共同経営となり、ジェファーソン・ワークスは、ロジャーズ・ケッチャム・アンド・グローブナーと改称され、は鉄道産業へと進出した。鉄道用のバネや車軸などの小部品を製作した。 ロジャーズが組み立てた最初の機関車は、1835年にイギリスのロバート・スティーブンソン社によって造られたものであった。この機関車は、パターソン・アンド・ハドソンリバー鉄道のマクニールであった。ロジャーズが完全自社製の機関車を製造するのは、その2年後のことであった。1837年、マッドリバー・アンド・レイク・エリー鉄道に納入された2両である。1号機関車は、"Sandusky"と名付けられた。そして、それはアレガニー山脈を横断する最初の機関車とオハイオ州で運行された最初の機関車になった。 トーマス・ロジャーズによって設計された"Sandusky"は、それまで機関車と異なる特徴を持ち、鋳鉄動輪を使用した最初の機関車であった。そして、車輪には駆動ロッドと車輪の重さに起因する重量を相殺するための釣合錘が取り付けられていた。駆動輪は木のスポークを持つものであった。 ロジャーズは、機関車製造会社として完全に独り立ちしたものではなかった。1837年には、最初の機関車製造に加えて、ボールドウィンやノリスなど他の機関車製造会社の注文に応じて、機関車のタイヤを製造していたが、本格的に機関車製造に取り組み始めると、これらの注文には応じられなくなっていった。 ウィリアム・スウィンバーンは、1845年に機関車製造会社であるスウィンバーン・スミスを設立するまでの間、ロジャーズ自身の工場で、店主任として働いた。スウィンバーンがロジャーズのもとを去ったあと、ジョン・クックもロジャーズ工場で働いた。スウィンバーンのように、クックは後にダンフォース・クック社で機関車を作り続けた。ロジャーズに所属したもう一人のエンジニアは、ゼラー・コールバーンであった。彼は、有名な機関車エンジニアであり、後に編集者・出版者となった。 ロジャーズの機関車は、初期のものからアメリカの鉄道において能力がある機関車とみなされた。1839年に製造された車輪配置4-2-0のアンクルサム(製造番号11、ニュージャージー鉄道運輸社)は、1マイルあたり26フィート(200分の1)の勾配上で、24両編成の列車を24.5mph(39km/h)で牽引することができると宣伝された。 1846年に、ロジャーズはアメリカ合衆国最大の6輪機関車(4-2-0)と呼ばれることとなった"Licking"(製造番号92)を、マンスフィールド・アンド・サンダスキー鉄道用に製造した。蒸気圧が平方インチ当たり110ポンド(760キロパスカル)の蒸気を発生させて、1マイルにつき16フィート(1000分の3)の勾配上で、380小トン(345トン)の列車を牽くことができた。 1868年11月に、ロジャーズは5両の石炭焚きの車輪配置4-4-0形蒸気機関車(No.116 - 120)をユニオン・パシフィック鉄道に納入した。 そして、それがユタ州のプロモントリーで執り行われた、最初の大陸横断鉄道の完成を祝う式典(ゴールデン・スパイク)に使用され、No.119が1869年5月10日にワイオミング州西部ととユタ集を結ぶ、ユニオン・パシフィック鉄道の貨物列車牽引用に使用された。同機は1880年代初期に作り直されて、1885年にNo.343として再就役した。No.119は、1903年4月に解体されたが、実物大のレプリカが1979年に製作され、現在はゴールデン・スパイク・ナショナル・ヒストリック・サイトで展示されている。 ロジャーズ工場製のもっとも有名な機関車は、1855年12月に製造された車輪配置4-4-0形機関車(製造番号631)"General"である。この機関車は現在、ジョージア州のケネソーの南北戦争と機関車の歴史博物館で展示されている。 ロジャーズの機関車は、力が強いばかりでなく、その耐久性の高さでも高い評価を得ていた。イリノイ・セントラル鉄道に納入された車輪配置4-4-0形No.23(製造番号449)は、1853年12月に就役したと推定されているが、その後の30年に100万マイル(160万km)を走行した。
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