デハ7000形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 22:37 UTC 版)
「京王7000系電車」の記事における「デハ7000形」の解説
主制御装置、パンタグラフを搭載する中間電動車 である。パンタグラフは京王八王子寄りに1基が搭載されている。4両編成の2両目、5・6両編成の2・4両目、8両編成の2・4・6両目、10両編成の2・5・8両目に組み込まれ、編成位置により新宿寄りから順に百の位が0・1・2に、4両編成は百の位が2とされた。デハ7050形とユニットを組んで使用されることが基本だが、5両編成と8両編成の4両目に組み込まれた7100番台の車両はデハ7000形単独で使用された。初代デハ7106-デハ7112は8両編成化時にデハ7206-デハ7212に改番されている。1985年から1994年までにコルゲート車体の40両(デハ7001-デハ7015、デハ7101-デハ7115、デハ7206-デハ7215)、ビードプレス車体の20両(デハ7021-デハ7025、デハ7121-デハ7125、デハ7201-デハ7205、デハ7221-デハ7225)の合計60両が製造された。
※この「デハ7000形」の解説は、「京王7000系電車」の解説の一部です。
「デハ7000形」を含む「京王7000系電車」の記事については、「京王7000系電車」の概要を参照ください。
デハ7000形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 04:43 UTC 版)
「弘南鉄道7000系電車」の記事における「デハ7000形」の解説
東急時代と同番号の7031-7032・7033-7034・7037-7038・7039-7040の2両編成4本、計8両が譲渡された。東急時代先頭車デハ7000形だった車両。前述の通り機器は全て日立製のものである。なお、7035・7036は当初から欠番である。 1988年に6000系6005-6006とともに譲渡された、東急7000系の地方私鉄譲渡第一陣となった車両。大鰐線の弘南鉄道への経営譲渡後、弘南鉄道で使用されていた車両は、まず弘南線で使用され、後に大鰐線に配転される、という流れをたどっていた。この結果、大鰐線は当時同様に老朽化車両を抱えていた弘南線に比べても車両水準が低く、また雑多な形式が配置されている、という状態であった。このため、6000系・7000系は弘南鉄道では初めて大鰐線に優先配置されることとなった。 弘南鉄道入線時に回生ブレーキカット、寒冷地対策としてベンチレーターのカバー取り付け、暖房強化などの改造を受け、その後は1991年にワンマン化改造、1995年には車内保温対策として客扉の開閉ボタン設置を行い、現在まで大鰐線の主力として使用されている。 車内の様子 非冷房で扇風機が設置されている 東急時代の面影を残すつり革 運転台
※この「デハ7000形」の解説は、「弘南鉄道7000系電車」の解説の一部です。
「デハ7000形」を含む「弘南鉄道7000系電車」の記事については、「弘南鉄道7000系電車」の概要を参照ください。
- デハ7000形のページへのリンク