テガーザ塩鉱問題とソンガイ帝国の攻略とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > テガーザ塩鉱問題とソンガイ帝国の攻略の意味・解説 

テガーザ塩鉱問題とソンガイ帝国の攻略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/15 08:04 UTC 版)

サアド朝」の記事における「テガーザ塩鉱問題とソンガイ帝国の攻略」の解説

サアド朝ソンガイ帝国は、アフマド・アル=アアラジュの時代からソンガイ帝国イスハーク1世在位1539年 - 1549年)と現マリ共和国北端サハラ砂漠中にあるテガーザ岩塩巡って所有権争いをしていた。アフメッド=ル=アレジの頃、王弟ムハンマド・アッ=シャイフによる占領阻止し逆にトゥアレグ族騎馬隊使ってモロッコ侵攻させた。アフマド・アル=マンスール王も引き続きその所有権主張し続け当初ソンガイのアスキア・ダーウード(在位1549年 - 1583年)とソンガイ帝国利権所有保証することでとりあえずの妥協をしていた。しかし、サアド朝にとって、ソンガイ領有する西スーダンの塩と金とその交易ルート支配し黒人奴隷獲得することは経済的に非常に魅力的なであったマンスール王は、アスキア・ダーウードが死にムハンマド3世在位1583年 - 1586年)が継ぐと、ソンガイ攻略機会うかがいテガーザ占領1585年2000人の先遣部隊ソンガイ国内様子を探らせた。ムハンマド4世在位1586年 - 1588年)が即位すると、ソンガイ国内内乱起こり弱体化始まったマンスール王は、内外情勢検討しアルジェリア方面への遠征トルコ刺激し泥沼の戦いになるが、西スーダンソンガイ攻略については、トルコ関知せずの態度をとるだろうと判断していた。1590年、機は熟した判断した王は、西スーダン遠征について、閣僚に諮った。当初閣僚たちは、押し黙っていたので、王は、反対だとしたら何故かと問うと、渡り鳥さえ力尽きて落ちるという環境厳しサハラ砂漠大軍送れるのかということと、遠征中のトルコ干渉恐れ意見述べた。王は、隊商通れる道を軍隊通れないはずがあろうか、またトルコは、南回りモロッコ攻略するような冒険はしない、と主張し1590年12月29日火縄銃装備した歩兵2000、同じ装備騎兵500投げ槍装備騎兵15008000頭のラクダ1000頭の馬という大軍出発させた。隊長は、パシャ・ジェデルというキリスト教からの改宗者遠征部隊自体にもキリスト教からの改宗者多く含んでいた。1591年3月1日遠征軍は、ついにサハラ踏破したが、厳しい環境のため、1000あまりに減っていた。しかし、火縄銃という火器持っているモロッコ軍は、盾としか知らないソンガイ軍を打ち破った3月21日会戦ソンガイイツハーク2世は、大敗し逃走した。翌1592年4月殺されソンガイ帝国は完全に滅亡することになる。モロッコ軍は、1591年4月25日待望トンブクトゥ入城を果たすが、トンブクトゥ廃れた極貧の町になっていた。実は、ソンガイ帝国は、1580年代入って王位継承争いのみならず旱魃洪水疫病頻発によって荒廃していたのだった1599年ソンガイ属国になっていたマリ帝国マフムード4世は、ソンガイ崩壊混乱状態に乗じてジェンネ奪回し、かつての繁栄取り戻そう試みたが、武器に勝るモロッコ軍打ち破られ今度こそ見る影もない小国分裂していった。サアド朝その後22年間、トンブクトゥ太守パシャ)を任命し続ける。任命太守がいなくなってからも、旧ソンガイ領を支配したモロッコ人部隊は、サアド朝滅んで100年以上も経った1780年頃まで彼ら自身の中から太守選任し周辺部族から税を取り立て続けた。西スーダン征服は、サハラ越え交易ルート安定化つながりサアド朝威信高めた黄金象牙流入以前より容易になり、マンスール王の死後もサアド朝は、しばらくは経済的な繁栄謳歌することができた。

※この「テガーザ塩鉱問題とソンガイ帝国の攻略」の解説は、「サアド朝」の解説の一部です。
「テガーザ塩鉱問題とソンガイ帝国の攻略」を含む「サアド朝」の記事については、「サアド朝」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「テガーザ塩鉱問題とソンガイ帝国の攻略」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「テガーザ塩鉱問題とソンガイ帝国の攻略」の関連用語

1
16% |||||

テガーザ塩鉱問題とソンガイ帝国の攻略のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



テガーザ塩鉱問題とソンガイ帝国の攻略のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのサアド朝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS