セカンドステップの問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 06:59 UTC 版)
「ジョージ・マロリー」の記事における「セカンドステップの問題」の解説
北壁から登っていくコースには、「セカンドステップ」と呼ばれる難所がある。山頂から250mほど手前に高さが30mほどで上部はほぼ垂直な岩壁になっている石灰岩の岩場である。1960年に中国隊が初めてここを乗り越え、1975年に中国隊の手でアルミはしごが設置されている。ラインホルト・メスナーに代表される現代の登山家たちの多くは、セカンドステップの困難さを理由にマロリーらの登頂を否定する。スペインのオスカル・カディアフ(Oscar Cadiach )は1985年に素手でセカンドステップ登攀に成功しているが、彼の見積もりではセカンドステップの難易度は(マロリーの技術なら登れる)5.7から5.8であった。ただ、カディアフが登ったとき、セカンドステップは雪に覆われており、雪のなかったマロリー登山時より容易になっていた。オーストリア人テオ・フリッシュ(Theo Fritsche )は2001年にマロリー同様の条件でモンスーン到来前の状態でザイルなしでの登攀に挑み、5.7~5.8という難易度であると評価している。フリッシュはマロリーのように軽装で酸素も用いない状態で成功し、条件がよければマロリーでもセカンドステップは超えられただろうと語っている。 2007年6月、コンラッド・アンカーとレオ・フールディング(Leo Houlding )が中国隊のアルミはしごを取り外した状態でのセカンドステップ超えに挑み、成功した。フールディングは難易度を5.9と評価。この登頂は、1924年の遠征隊の状況をできる限り忠実に再現するために行われた。しかしアンカーはその8年前に行われた最初の挑戦では失敗しており、「自分は5.12クラスをこなす自信があるが、この難易度は5.9クラスの技術では厳しいだろう」と語った。その時アンカーは中国隊の残したはしごを足場の1つとして利用していた。2007年の登山後、アンカーは意見を変えて「おそらくマロリーにも登れたに違いない」と言った。2人がセカンドステップを超えたかどうか、いまだに世界の登山者の間では意見が分かれている。 マロリーはスイス・アルプスにあるネストホルン(Nesthorn 、標高3,824m)で同じような状況にあったが、これを克服している。仲間たちは彼の高い技術に裏打ちされた積極性と楽観さを疑うことはなかった。 登山技術ということなら、マロリーは北ウェールズでHVS(Hard Very Severe 、難易度5.8-5.9)級の山々に登って技術を磨いている。たとえばスノウドン山系のリウェッド(Y Lliwedd )の山々などがそうだが、そのような山に基本装備で登るのに慣れた登山者は重装備である方が逆に登りにくいのではないか、という意見もある。 ノエル・オデールは彼らがセカンドステップにとりつくのを見たと語った。これに対してはまずイギリスの登山家たちの間から疑義が出たため、オデールは後に「ファーストステップだったかもしれない」と見解を変えている。しかし人生の終わりに再び意見を戻し「やはりセカンドステップだった」と主張していた。もし彼の目撃したことが本当だとすれば、彼の証言する地形はファーストステップではありえない。 別の説もある。オデールがステップを登っていく人を見たとき、彼はごく自然に彼らが登っていくところだと考えた。そのことからオデールの見たのが登頂ルートではないファーストステップだということはあり得ないという結論が導かれた。セカンドステップなら予定よりもだいぶ遅いが、その理由は信頼性の低かった酸素器具に問題が生じたためと説明されてきた。しかし、それにしても時間的に遅すぎる。もしオデールが見たとき、2人が「下っている」ところだったとすれば、時間の辻褄は合う。オデールが見た時、2人は下山中にファーストステップをよじ登ってそこから眺め、セカンドステップを経由してノース・コルへ出るルートを見付けようとしていたのではないかという説である(1981年のフランス隊は登頂を断念して、全く同じ行動を取った)。 1999年の調査隊は2001年にさらなる証拠を求めて山に戻ってきた。彼らはマロリーとアーヴィンのキャンプを発見したが、アーヴィンの遺体とカメラを発見することができなかった。2004年には別個の調査隊がカメラを探したが、見付からなかった。
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