スペイン語写本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 01:57 UTC 版)
「バルナバによる福音書」の記事における「スペイン語写本」の解説
セールはスペイン語写本に関して以下のように述べている; 「この本は中くらいの四つ折り本で[...]非常に読みやすい字体で書かれているが、後の方から終わりにかけて僅かに傷んでいる。長さのまちまちな222章、420ページから成る; 」 この写本はハンプシャーのヘドニーの講師、ホーム博士からセールに貸与された; そして英訳とともにこの写本がオックスフォード大学ザ・クイーンズ・カレッジのトマス・モンクハウス博士の手に渡り、さらに彼が英訳および写本をジョゼフ・ライト博士に貸与すると、ライト博士はそれらを1784年にバンプトン・レクチャーズで利用した。セールはホーム博士がこの文書をどうやって手に入れたかに関して何も言っていない。シドニー写本を除くと、スペイン語写本はセールによって引用されたスペイン語の三つの章句とホワイトによって引用された英訳版の9つの章が残るのみである。 1792年にモンクハウス博士が死去して以降のスペイン語写本の原本の消息は不明である; しかし、スペイン語写本の写しが1970年代にシドニー大学のフィッシャー・ライブラリーでチャールズ・ニコルソンの蔵書群の中から発見された。英語で「"Transcribed from ms. in possession of the Revd Mr Edm. Callamy who bought it at the decease of Mr George Sale ... and now gave me at the decease of Mr John Nickolls, 1745"」とラベリングされた状態であった。このシドニー写本は130ページあるがp116の下部に「Cap 121 to 200 wanting」とあるように元のテクストの全体は含んでおらず、p117は(スペイン式の算法で)第200章から再開している。シドニー写本とセールがスペイン語で引用した章句の対応箇所を比較すると実質的な違いはないがセールの死んだ1736年から1745年の間のいつかにスペイン語写本の80ほどの章が失われたようである。 スペイン語写本の冒頭には、アラゴン出身のムスリムでイスタンブールに居留したムスタファ・デ・アランダがイタリア語から翻訳したのだと主張する注がついている。この注のさらに前には「フラ・マリノ」なる偽名を用いる人物の、教皇シクストゥス5世の図書館からイタリア語版を盗んできたと主張する序文がついている。フラ・マリノは自分は異端審問の法廷で職を得ていくつかの文献を所有するようになり、それによって聖書のテクストは崩壊していて真正の使徒文書は不当にも排除されてきたのだと信じるようになったと述べている。また、フラ・マリノはパウロに反対するエイレナイオスの著作でのほのめかしによってバルナバによる福音書の存在に注意をひきつけられたと主張している。; コロンナ家に属する女性から彼に贈られた書物において(ローマ近郊のマリーノはパラッツォ・コロンナの所在地であった)。 (シドニー写本に残っている限りでの)スペイン語写本の言語学的形態・綴り・句読法は概ね16世紀後半の標準的なカスティーリャ語に近い; そしてイタリア語写本のような特殊な文体ではない。それゆえ、言語学的には、スペイン語写本はイタリア語写本よりも後のものであると考えられる; ただしこの点はスペイン語写本が二次的だと確証するものではない。
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