原文の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 01:57 UTC 版)
「バルナバによる福音書」の記事における「原文の歴史」の解説
バルナバによる福音書に言及する最初期の文書は知られている二つの写本のうちの一方と調和することが広く認められており、マドリードで作成されたモリスコ写本BNM MS 9653に含まれており、1634年頃にチュニジアでイブラヒム・アル・タイビリが書いたものであるという。彼は聖書がいかにムハンマドの出現を予告しているかを述べる際に「光を見出すことのできるバルナバによる福音書」(西: "y así mismo en Evangelio de San Bernabé, donde se hallará la luz")と言及している。この福音書に関する文書が初めて公刊されたのは1717年であり、スペイン語写本に関する簡潔な言及が Adriaan Relandの『モハメッド教について』に見出される; 1718年にはイタリア語写本に関するより詳細な説明がアイルランドの理神論者ジョン・トーランドによってなされた。1734年にはジョージ・セールの『コーランを準備する言明』において両写本が言及された。: モハメッド教徒達もアラビア語で福音書をもっており、それは聖バルナバに帰されている。その福音書でもイエス・キリストの生涯が語られるのだが、真の福音書にみられるのとは大いに異なった形で語られており、モハメッドがコーランを語る際に従った伝承と合致しているのである。アフリカのモリスコ達はこの福音書のスペイン語訳を持っている; そしてサヴォイの公子ユージンの図書館には古い写本がいくつかあり、その中にこの福音書のイタリア語訳が含まれていることから、背教者が使うためのものではないかと思われる。この福音書はモハメッド教徒が全く独自に偽造したものではないと考えられるが、彼らが自分たちの目的により合致するように改ざんを加えていることは間違いない; また特に、パラクレートスつまり弁護者の代わりに彼らはこのこの外典福音書にペリクリュトスつまり著名者の語を挿入し、自分たちの予言者がこの名前により予告されていると言い張った、というのはモハメッドはアラビア語でそう呼ばれているのである; そして彼らはこのことをもって、イエス・キリストがモハメッドを同語源の異名アフメッドのもとに予告しているというコーランの章句を正当化しているのである。 セールによるクルアーンの翻訳が英語における定訳となっている; そしてその宣伝を通じて、そして『コーランを準備する言明』を通じて、学者たちの間でバルナバによる福音書が注目されるようになった; セールが述べているアラビア語原本が見つけようという拙速な試みが多く行われたが無駄に終わったしかし、『コーランを準備する言明』においてセールは全面的に二次文献に依拠してバルナバによる福音書について書いており、(例えば、セールの説明に反して、パラクレートスあるいはペリクリュトスといった語はどちらの写本にも見出されない; ただしペリクリュトスはイタリア語写本に対するアラビア語での傍注において音写されている)。『コーランを準備する言明』による準備に続いて、よく知られたスペイン語写本がセールの所有するところとなった。
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