ジョンソン副大統領の昇格とワシントンへの帰途
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「ケネディ大統領暗殺事件」の記事における「ジョンソン副大統領の昇格とワシントンへの帰途」の解説
詳細は「1963年リンドン・ジョンソン大統領就任式」を参照 リンドン・B・ジョンソン副大統領はケネディが乗ったリムジンの2台後の車に乗っていたが難を逃れ、パークランド記念病院で大統領の死に接して、シークレットサービスの警護を受けながら急遽ラブ・フィールド空港のエアフォース・ワンに向かった。この病院を出た時と同時にCBSのウォルター・クロンカイトがケネディ死去の公式発表をテレビで伝えたが、クロンカイトが涙ぐんだ後に「ジョンソン副大統領はすでにダラスの病院を離れ、どこに向かったかは分からないとのことです。おそらく速やかに就任宣誓を行い、第36代合衆国大統領に就任する予定です」と語った。 そして副大統領はエアフォース・ワンに到着して、機内に入ってすぐに大統領専用電話を使って、アイゼンハワーとトルーマンの両元大統領に事態の説明をして全面的協力を求めた。そしてワシントンにいる閣僚4名 と大統領補佐官らに職場を離れないことを伝えた。そしてジャクリーン夫人らが遺体とともに戻ってきた後に機内でアメリカ合衆国大統領の就任宣誓を行い、第36代大統領に昇格した。この後に機内からハイアニスポートに電話してジョンソンとレディ・バード夫人から大統領の母ローズにお悔やみが伝えられた。 ジョンソンとジャクリーン夫人らを乗せたエアフォース・ワン は、ジョンソンの大統領就任宣誓が終わった後にダラスを飛び立ち、史上初めて2人の大統領を乗せてワシントンD.C.郊外のアンドルーズ空軍基地に着陸した。ケネディ大統領の遺体の入った棺は、空港の荷物搬送機で降ろされ、海軍所有の救急車に搬入された。ジャクリーンと迎えに来てすぐに機内に入ったロバート・ケネディらもケネディの棺とともに同じ搬送機で降りて救急車に乗り、そのままベセスダ海軍病院へ向かった。 ジョンソン新大統領は、その後にタラップを利用して降り、その場で新大統領としてのコメントを発表して「今は全ての人々にとって悲しみの時である。我々は計り知れない損失を受けた。私にとって、これは深い個人的な悲劇である。ケネディ夫人とそのご家族の悲しみを全世界が分かち合うものと思う。私は全力をつくす。神のご加護を」と述べた。ダラスからアンドルーズ空軍基地にケネディの遺体が戻り、空港でコメントを発表したジョンソン新大統領のテキサス訛りと、ケネディのボストン訛りの対比に、アメリカ国民は大統領交代を実感したという。 この後にジョンソンは空港からヘリコプターで飛び立ち、ホワイトハウスの南芝生に着陸した。この時にワシントンにいたマクナマラ国防長官、マクジョージ・バンディ特別補佐官、ジョージ・ボール国務次官が同乗して機内で国防と外交情勢の説明を受けた。到着後にはフーバーFBI長官を呼び暗殺事件の捜査の進展状況を聞いている。また民主、共和両党の議会首脳とも夜にすぐに会談した。実はこの日はケネディ政権の閣僚10名のうち6名は日本で24日開催される予定の日米貿易経済合同委員会に出席するため太平洋上を飛行中であった。ラスク国務長官・ディロン財務長官・ユードル内務長官・ホッジス商務長官・フリーマン農務長官・ウイルツ労働長官で、一行はホノルルで急ぎ引き返し、深い悲しみの中をケネディ大統領一行が戻った同じアンドルーズ空軍基地に、ほぼ7時間後の同日深夜(東部標準時12:42)に戻り、ラスク国務長官とは翌朝9時に新大統領は会議を行った。そしてジョンソンはその直後にアイゼンハワー元大統領とも会見している。暗殺のショックを癒すひと時もなくこの日から大統領の激務が始まった。
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