ジョンソン対ランディス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 14:40 UTC 版)
「1924年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ジョンソン対ランディス」の解説
シーズン終盤にジャイアンツとブルックリン・ロビンスと激しく競り合っていたさなかに、コミッショナーのランディス判事がジャイアンツのコーチとジミー・オコーナー外野手がフィラデルフィア・フィリーズのサンド遊撃手に500ドルを渡したと指弾した。このことでジャイアンツが優勝したため、シーズン終了後に、ワールドシリーズの中止を求める動きが表面化して、これにアメリカンリーグのバン・ジョンソン会長が絡み、アメリカンリーグ優勝のワシントン・セネタースの相手はニューヨーク・ジャイアンツではなく、2位のブルックリン・ロビンスに代えるべきだと主張した。ジョンソン会長にとってはブラックスソックス事件でランディス判事に敗れた遺恨があった。しかしコミッショナーはアメリカンリーグ会長の主張を無視し、ジャイアンツのコーチと外野手の2名をシリーズ出場停止処分にしてジャイアンツ対セネタースのワールドシリーズ開催を認めた。そして逆にジョンソン会長の譴責と謝罪を要求し、これに対してアメリカンリーグの8球団のうちセントルイス・ブラウンズを除く7球団のオーナーが同意してジョンソン会長は再び敗れた。 4年前のブラックソックス事件でその対応を誤り、ランディス判事のコミッショナー就任を阻止しようとして球団オーナーの反対で挫折し、そして今回は7球団のオーナーからランディス支持の逆風で、すでにかつてのアメリカンリーグ創設者としての絶対的な力は失われていた。彼はこの2年後にタイ・カップとトリス・スピーカーの賭博行為に関する疑惑が浮上して再びランディスと対立するが、既にリーグ内に味方がいない状況で1927年に失意のうちに会長を辞任することとなる。
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