ジョルジョーネとティツィアーノ
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「ルネサンス期のイタリア絵画」の記事における「ジョルジョーネとティツィアーノ」の解説
ルネサンス期の芸術家の中でも、もっとも独創的で謎に満ちた画家の一人ジョルジョーネ(1477年/1478年頃 - 1510年)の作品には、師と目されるジョヴァンニ・ベリーニの影響が見られる。代表作のひとつ『テンペスタ』には、子供に乳を与える半裸の女性と着衣の男性、古典様式の円柱、遠雷などが描かれており、何を意図して描かれた作品なのかははっきりとしていない。イタリア人研究家サルヴァトーレ・セッティスはその著書『絵画の発明 - ジョルジョーネ「嵐」解読』で、エデンの園のアダムとイヴを再現したものではないかとしているが、研究者によって異説が多い。ジョルジョーネの真作であると見なされている『三人の哲学者』(1507年頃、美術史美術館(ウィーン))には、生を受けたばかりのキリストを捜しに向かうマギが描かれていると考えられているが、ジョルジョーネの真作であるかどうかも含めて定説とはなっていない。間違いなくジョルジョーネの作品で後世に多大な影響を及ぼしたのは、単独の裸婦像を描いた『眠れるヴィーナス』(1510年、アルテ・マイスター絵画館(ドレスデン))である。『眠れるヴィーナス』は、ルネサンスの源流となった古代美術の裸婦像とは無関係に、ティツィアーノ、ヴェロネーゼらルネサンス期のイタリア人画家のみならず、バロック期のスペイン人画家ベラスケス、オランダ人画家レンブラント、新古典主義のフランス人画家ドミニク・アングル、さらには19世紀印象派のフランス人画家マネにいたるまで、数世紀にわたってヨーロッパの画家たちに影響を与え続けた。 ジョルジョーネは33歳という若さで夭折し、未完の状態で残っていた『眠れるヴィーナス』はジョルジョーネの助手だったティツィアーノが加筆して完成させた。ティツィアーノが加筆した部分は背景の風景と空で、ボッティチェッリの作品に見られるような、森と星明かりに囲まれた女神を表現しており、ティツィアーノ自身も『眠れるヴィーナス』に触発された『ウルビーノのヴィーナス』を描いている。しかしながらティツィアーノが評価されていたのは神話画ではなく肖像画の分野においてであり、長寿を保ったこともあって多くの作品を残している。その生涯に制作した絵画の点数、様式の変革ともに、ジョルジョーネやラファエロ以上に成果を上げた画家である。ティツィアーノの肖像画によって、ピエトロ・アレティーノやローマ教皇パウルス3世など、当時の歴史上の人物の風貌が現在にまで多数伝わっている。ティツィアーノが描いた作品の中でおそらくもっとも力強い肖像画は、ヴェネツィア元首(ドージェ)アンドレア・グリッティの肖像画である。画面からあふれ出るような威厳に満ちた姿の肖像画で、大きな飾りボタンがついたローブを力強い手で握りしめた姿勢で描かれており、グリッティが持つ権力や内なる感情まで表現されている。ティツィアーノは肖像画だけではなく宗教画にも高く評価されており、遺作となったのは乱暴でぼんやりとした筆致で描かれている『ピエタ』である。
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