ジャッキージャック事件(二重契約のトラブル)
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「ジャッキー・チェンの醒拳」の記事における「ジャッキージャック事件(二重契約のトラブル)」の解説
詳細は「ジャッキー・チェン#トラブル」を参照 ジャッキーは、1979年に親友であり自身のマネージャーでもあるウィリー・チェンと共同で個人プロダクション「豊年影業公司」を設立、監督も兼任した『クレージーモンキー 笑拳』を完成させた。その後、事実上ロー・ウェイとの契約は終了していたが、スターに育ててくれた義理もあり、『醒拳』の出演契約を結び、『―笑拳』に続いて監督も兼任することとなった。だが前述のとおりローが制作するジャッキー作品は配給会社が買わなくなっており、ジャッキーとウィリーは「このままローの元へ戻ったら俳優として危ない」と判断。またジャッキーにはゴールデン・ハーベストから破格の契約金を提示され、かつて憧れの存在だったブルース・リーも所属し、海外へも進出を始めていたという点に魅力を感じ、ウィリーや、ゴールデン・ハーベスト社長のレイモンド・チョウらと、本格的にローから離脱してゴールデン・ハーベストに移籍する計画を画策する。 ローはジャッキーを逃さないために契約書を改竄し、ジャッキーはローの元から逃れられない状況にあった。しかしローに命じられて契約書を改竄した社員が翻身してジャッキー側についたことから、ジャッキーは「裁判沙汰となればローの悪事を証明できる」と判断し、『醒拳』のプロモーション用スチル数枚を撮影した後は同作品の製作を放置する。その後ジャッキーはゴールデン・ハーベスト社と契約を結び『ヤングマスター 師弟出馬』(1980年)監督・主演の契約を締結。続いて『バトルクリーク・ブロー』(1980年)、『キャノンボール』(1981年)出演のため渡米した。これらの行動はほぼ極秘裏に進められたため、香港ではジャッキーが「『醒拳』をドタキャンして行方不明」になったとして「失踪事件(ジャッキージャック事件)」騒ぎになった。 ロー・ウェイはこれに激怒し、暴力団を使ってジャッキーに追い込みをかけるなど事態は最悪の状況に陥りつつあったが、結果的に香港黒社会と深いつながりのある香港映画界のドン、ジミー・ウォングがロー、ジャッキー、暴力団との間を取り持って最終的に和解という形となった。 ジャッキーに去られたローは『醒拳』を、ジャッキーの許可なく『クレージーモンキー 笑拳』のNGフィルムを無断流用し、さらにはジャッキーのダミー俳優を起用するなどしてストーリーの不足部分を補い、作品を完成させた。
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ジャッキー・ジャック事件
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「ジャッキー・チェン」の記事における「ジャッキー・ジャック事件」の解説
ロー・ウェイとは個人プロダクション時代から折り合いが悪く、この仲違いの末、ジャッキーは当時のゴールデン・ハーベスト社長レイモンド・チョウ、自分のマネージャーであり親友のウィリー・チェンらと図り、ローのプロダクションから半ば強引に離脱した。いわゆる二重契約問題である。この顛末をジャッキーは自伝『僕はジャッキー・チェン』で詳細に述懐している。その内容を以下に要約する。 1979年の初夏、前年に他社にレンタル出向し製作された『スネーキーモンキー 蛇拳』、『ドランクモンキー 酔拳』や、続いてローの下でジャッキーが初監督した『クレージーモンキー 笑拳』が大ヒットした。ジャッキーとウィリー・チェンは、ローがレンタル出向前に製作し完成していた『拳精』と『龍拳』を、過去のジャッキー作品が全て興行面で失敗していたために配給会社が警戒して買わなくなっていたこともあり(蛇拳と酔拳のヒットのおかげでその後ようやく公開)、「このままローの下に戻り同じタイプの作品を製作しても駄目になる」と決心し、ローへ退社を申し出た。ところがローはジャッキーの契約書の解約違約金の項目を、10万香港ドルから「1000万香港ドル」に改ざんし、ジャッキーを逃さない手を打っていた。しかしその後、ローの契約支配人がジャッキー側に翻身し、ローが契約書を改ざんしたことの証人となることを約束したため、ローの下での最新作『ジャッキー・チェンの醒拳』の撮影を数日で中断し、ジャッキーはゴールデン・ハーベスト社での第一作『ヤングマスター 師弟出馬』の製作を開始してしまう。 ジャッキーに契約破棄状態で逃走されたローは、黒社会を利用してジャッキーの強制連れ戻しを図る。ジャッキーは拉致されローの面前へ引き出され、ローはジャッキーに再契約を迫る。もっとも黒社会は「儲からない者は助けない」のであり、ローにとっても黒社会を利用するということは、もしジャッキーとの交渉が決裂すれば自身に危害が及ぶ危険性があることでもあった。ウィリー・チェンは状況打開のため各方面と交渉し、まずローの1000万ドル契約については(虚偽の契約であるが)ゴールデン・ハーベスト社のレナード・ホーが「ジャッキーに対する投資」名目で解決することとなり、ローはジャッキーの契約及び未公開作品の権利をゴールデン・ハーベスト社に売却した。最も厄介な黒社会の件は、その世界と繋がりの深い元祖香港映画のドン、ジミー・ウォングに間を取り持ってもらい一件を手打ちにし、ジャッキーは黒社会に狙われることはなくなり、ローもまた黒社会と手を切ることができた。もっともその義理立てとして、ジャッキーはジミーの主演作品『ドラゴン特攻隊』、『炎の大捜査線』に準主演級で出演した。これらの作品へのノーギャラでの出演ついてジャッキーは「両方ともひどい作品だったが、借りを返すこと以上に重要なことはない」などと説明している。 この一連の事件について、当時はジャッキーら当事者からプレス向けに事情説明がほとんどなく「ゴールデン・ハーベストがジャッキーを強引に引き抜いた」などと言われ、「ジャッキー・ジャック事件」とゴシップとなる。日本では、『クレージーモンキー 笑拳』初公開時のパンフレットにおいて、映画評論家の日野康一が「ジャッキー・チェンをめぐる二、三の事情」と題して初めてこのトラブルに言及。この中では「恩師ロー・ウェイからゴールデン・ハーベスト社に無理矢理さらわれてしまった 可哀想なモンキー」とされた。 なお、1980年代から1990年代の香港映画黄金期には黒社会系列の映画会社が数多く跋扈しており、その後ジャッキーは香港映画界からの黒社会追放キャンペーンでは陣頭に立っている。その時のインタビューで「彼らに殴られたり、金を要求されたこともある」と述べた。
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