ジェット機化とは? わかりやすく解説

ジェット機化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 06:48 UTC 版)

震電」の記事における「ジェット機化」の解説

震電には「震電改」(略符号J7W2)として将来ジェット化する構想があったという説がある。この震電ジェット化構想説の根拠は、元九州飛行機設計部第1設計課副課長清原邦武の航空雑誌への寄稿である。 清原寄稿で「1944年6月5日空技廠開かれた試製震電計画要求書研究会』上かその後指示で、空技廠発動機部員より「ガスタービン使用考慮して設計進めよ。」というのがあった。震電取付けるのは地上静止推力900kg、ほぼ3,000HP相当のもので速度は420kt(780km/h)程度になるだろう。ただし離陸補助ロケット必要だが、これは過荷重としたいということだった。石川島芝浦タービン試作中のネ130ジェットエンジンだったようだ。いよいよトモエ戦時代も終るなと思った。「震電」の発動機配置からすればジェットエンジン換装することはそれほど難しくないように思われた。ぜひ早く実現したいものだと興奮感じたことを覚えている。結局、これは実現しなかったが、中島飛行機設計され双発ジェット攻撃機橘花」は九州飛行機でも試作し1号機がほとんど完成したときに終戦となった。」と証言している。 しかし、その他に震電についてはジェット化考慮して設計され具体的な記録が見つかっていない。また、震電動力艤装主任務めた西村三男ジェット化の話があったことは認めているが、実現向けては「具体的に何ら進んでいなかった」とも証言している。搭載予定であった当時試作中のジェットエンジン、ネ130開発の進行状況終戦近くにようやく全力試験とりかかった段階であり、実際に運用できる状況でなかった。 原因として、その前身であるネ20様々な致命的欠陥抱えており、この欠陥結果設計全力運転でわずか15時間と非常に耐久寿命が短い状態であったが、当時震電並行して開発されていた橘花試験飛行時でもこの欠陥露呈しており、解決には向かっていなかったという。この欠陥ネ20のみでなく開発中のネ130にも起こっており、もちろん震電搭載できる状況では無かった。 更に言えば戦争末期日本には最早ジェットエンジン必要不可欠耐熱金属作るための希少金属ニッケルクロムなど)がほぼ枯渇しており、よく言われる排気タービンもこの資源不足による耐熱性の高い代替金属の開発一つ大きなとなっていた。従って、仮に試作エンジン完成したとしても量産はほぼ不可であった考えられる

※この「ジェット機化」の解説は、「震電」の解説の一部です。
「ジェット機化」を含む「震電」の記事については、「震電」の概要を参照ください。

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