ジェット機の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 02:02 UTC 版)
世界最初のジェット機の飛行はHe 178により1939年 8月27日に記録された(ジェット機を参照)。本機は単発・単座で、搭載されたジェットエンジンはハンス・フォン・オハインの設計により自社で開発したものであった。 次ぐ双発・単座機He 280は1941年 3月30日に約3分間の初飛行に成功した。これにより、ハインケル社は世界最初の双発ジェット機の飛行も記録した。本機は、やはり世界最初となる射出座席(圧縮空気式)を備え、最高速度は700km/hに達した。また、戦闘機としての兵装搭載を前提に設計されており、当時のドイツ空軍における主力レシプロ戦闘機Fw 190を模擬空戦で圧倒したともいわれる。しかし、ロケット機と同様に本機もドイツ空軍省からは不評で、量産されることも無く開発中止となった。 なお、世界最初の実用ジェット戦闘機Me 262原型機の初の純ジェット飛行は1942年7月18日である。もっとも、本命エンジンであるユンカース社製ユモ004の実用性獲得は1944年になってからであり、同一エンジンでのHe 280とMe 262の優劣ではMe 262に軍配が上がる。 第二次世界大戦末期に量産に至った唯一のハインケル社製ジェット機がHe 162である。正式な愛称は「フォルクスイェーガー(Volksjäger、国民戦闘機の意)」。また、俗称であるが「シュパッツ(Spatz、スズメの意)」や「ザラマンダー(Saramander、火トカゲの意)」とも呼ばれた。シュパッツよりもザラマンダーの方がより一般的である。単発単座の軽戦闘機で、国民戦闘機の名称どおり比較的経験の浅い少年兵などでも乗りこなせることを設計目標とした。原型機は1944年12月6日に初飛行した。しかし、急いで開発・実用化したためにかなり特異な設計となり、熟練したパイロットでなければ操縦が困難になってしまった。ドイツ降伏までに200機前後が完成し、最初にして唯一の飛行隊が1945年3~4月ごろに実働状態に入った。終戦までにRAFのタイフーン戦闘機を含む2機撃墜の戦果(非公式)を記録している。
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