シュレーツァーの引導
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:08 UTC 版)
ガッテラーの後継者でありミハエリスにも師事したアウグスト・ルートヴィッヒ・フォン・シュレーツァー(1753年 - 1809年)(en)は、ゲッティンゲン学派歴史学の深耕に努めた。批判的精神旺盛で、マリア・テレジアは改革断行時にその批評を気にしたと言われるシュレーツァーは、北ヨーロッパやロシアなどの歴史に加え、商業史や経済史などの切り口も内包した幅広い分野を対象とした。そのような彼も当初は、『普遍史の観念』(1775年)の題が示す通り、伝統的歴史観を持っていた。しかし1785年発表の『世界史』で、彼は普遍史からの脱却を果たした。 シュレーツァーは『世界史』序文にて、普遍史とは聖書文献や世俗文献の研究を補助する分野でしかないと宣言した。そして、歴史学を構築するには、諸事実を系統的に集成し、そこから世界や人類の現在を根本から理解する「世界史」(Welt Geschichte) を叙述するべきとの主張を盛り込んだ。彼の『世界史』には依然としてアダムから始まるが、そこからキュロスまでの時代を「始原世界」「無明世界」「前世界」という伝説の枠内に収め、キュロス後から「古代世界」「中世」「近代世界」という段階を踏ませている。その記述内容はガッテラーと同様に、啓蒙主義的な文化史、もしくは社会史として記述されている。 そしてシュレーツァーは、歴史的事象の年代表記から「創世紀元」を排除した。天地創造をゼロ年として始まる創世紀元は、年代学論争などで聖書が解釈される度に果たして何年前の出来事なのか揺れ動き、それに引きずられて現在の「年」が定まらない欠点があった。過去、キリスト紀元やユリウス周期など、この問題を解決する紀元法が複数提示されて来たが、そのいずれも創世紀元と併用され、ガッテラーの著作も同様だった。プロテスタントであったシュレーツァーは、その信仰心と学問を明瞭に切り離す態度を表明することで、普遍史を歴史学から葬り去る「死の天使」の役目を引き受けた。
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