ゴッホによる記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 14:22 UTC 版)
ゴッホは、1888年2月、弟テオと同居していたパリから南仏のアルルに移り、以後、「郵便夫ジョゼフ・ルーラン」、「ズアーブ兵」などの肖像画を含め、後世に残る名作を数々制作していた。「ラ・ムスメ」はその年の7月末に制作されたことを、ゴッホの手紙から知ることができる。おそらく7月18日から25日までの1週間に描かれたものである。 1888年7月29日、ゴッホは、友人の画家ベルナールに宛てた手紙の中で、次のように説明している。 12歳の若い女の子の肖像画を仕上げたところだ。眼は茶色で、髪と眉毛は黒、肌は黄灰色、背景は強くヴェロネーゼを帯びた白、上着は血のような色にバイオレットのストライプ、スカートは青に大きなオレンジの水玉、可愛らしい小さな手にキョウチクトウの花を持っている。 同じ日にテオに宛てた手紙には、次のように書いている。 君が「ムスメ (mousmé)」とは何のことか知っているなら(ロティの『お菊さん』を読んだら分かるだろう)、僕はそれを一つ描いた。1週間まるまるかかって、ほかのことは何もできず、調子はまた余り良くない。それが嫌なことで、もし調子が良ければ合間にもっと風景画を片付けられるのだが。しかしムスメを仕上げるために僕は精神的な力を節約しなければいけなかった。ムスメというのは日本人の女の子――この場合はプロヴァンスの子だが――12から14の子をいう。これでズアーブ兵と彼女と、2枚の人物画ができた。[中略]若い少女の肖像画は、ヴェロネーゼ・グリーンを強く帯びた白い背景で、身頃はストライプの入った血のような赤と紫だ。スカートはロイヤル・ブルー(藤紫)に大きなオレンジ黄色の水玉がある。肌の光沢のない部分は黄灰色で、髪は紫がかっていて、眉は黒、まつげも。眼はオレンジとプルシアン・ブルー(紺青)、キョウチクトウの小枝を指の間に持っている、というのも両手まで絵に入っているから。 妹ヴィルにも次のように説明している。 僕の手元には12歳の少女の肖像もある。茶色い眼、黒い髪と眉、黄色がかって光沢のない肌だ。彼女は肘掛け椅子に座って、血のような赤にすみれ色のストライプの上着、深い青にオレンジの水玉のスカート、手にはキョウチクトウの一枝が握られている。背景は薄い緑で、ほとんど白だ。 ゴッホが読んだロティの『お菊さん』には、「ムスメ」という単語について次のとおり説明がある(原文フランス語)。 ムスメとは若い女の子、若い女性を意味する単語である。日本語の中でも最も可愛らしい言葉の一つだ。moue(つまり若い女の子の愉快で可愛らしいふくれっ面)とfrimousse(つまり若い女の子の快活で優しい小さな顔)という言葉の両方の語感があるように思われる。私は、この意味を表現するのにぴったりくるフランス語の言葉を知らないので、この単語をしばしば使うことにしたい。 ゴッホは、7月31日付けのテオ宛書簡で、友人のマックナイトがゴッホのところに来て、「若い少女の肖像」を良いと言っていたと書いている。 ゴッホは、まだ油絵具が完全に乾いていない「ラ・ムスメ」を、パリのテオに送ることにした。8月13日頃の手紙で、ゴッホは、アルルからパリに向かう予定のミリエ少尉(ズアーブ兵の友人)に習作36枚を託し、テオのところへ持って行ってもらうつもりだと書いている。そのうちの1枚が、「ムスメ」の油絵であったと考えられる。 9月3日の手紙では、テオに、「僕から送った習作は、また完全に乾いていないから、できる限り空気にさらしてほしい。仕舞い込まれたり暗いところに置かれたりすると、色が悪くなってしまうかもしれない。だから、若い少女の肖像、収穫(背景に廃墟があってアルピーユ山脈がある広い風景画)、海の小景、枝の垂れた木と針葉樹の茂みのある庭園の絵は、画架にかけておいてくれると良い。僕はこれらの作品に少し愛着を持っている。」と依頼している。 カミーユ・ピサロが9月6日にテオに会いに来た時、テオは「ラ・ムスメ」をピサロに見せている。ゴッホは「ピサロがあの若い少女に何物かを見いだしてくれたことはとても嬉しい。」と書いている。
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