クールスから俳優へとは? わかりやすく解説

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クールスから俳優へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 19:11 UTC 版)

舘ひろし」の記事における「クールスから俳優へ」の解説

その後岩城滉一とともに原宿表参道拠点にした硬派バイクチーム「クールス」を総括矢沢永吉リーダーだったロックバンドキャロル」の親衛隊として有名となり、キャロル解散コンサートDVDにも登場している。 1975年、バイクチーム「クールス」からの選抜メンバー結成されロックバンドクールス」のボーカルとして『紫のハイウェイ』(矢沢永吉五大洋光作曲)でデビュー1977年ソロデビューの際には、"太ったブタが勝つか、しなやかなが勝つか"とのキャッチフレーズプロモーション打って出て、矢沢挑発するものとして話題呼んだまた、当時東映社長岡田茂誘われ東映に籍を置き、『東映俳優センター』に所属俳優としてのキャリアスタートさせる1976年、『暴力教室』で銀幕デビュー果たしバイク乗り回す不良生徒役で、主演教師役の松田優作殴り合う姿は鮮烈な印象残した同作を観た岡田茂東映社長が、東映での舘の売り出し指示し同年男組 少年刑務所』で映画主演1978年には『皮ジャン反抗族』(長谷部安春監督)、1980年薔薇の標的』(村川透監督)と東映で計3本主演映画製作された。これらの映画暴走族イメージがあるクールス引きずり、また実際に本人趣味でもあったため、オートバイ駆使する姿がトレードマークとなったまた、新・女囚さそり 特殊房X』では、後年通じても珍しい、完全な悪役刑務所新任エリート課長。全く内面心情描写がなく残虐に徹する)も経験している。 テレビドラマ初出演した『西部警察』シリーズでの登場きっかけ渡哲也出会い最初は、ハーレーダビッドソン駆使する無頼漢キャラクター巽総太郎愛称タツ」)役で登場していたが、番組初回から半年間の出演契約となっていたために、半年後の第30話で西部署最初殉職刑事となり一旦降板している。1980年春の文献東映大々的に舘を売り出す計画があり、万全を期すため降板したと書かれたものがある(薔薇の標的 (1980年の映画)#製作)。 西部警察撮影初日東映時代から愛用している黒いディレクターズチェアを石原、渡のディレクターズチェアの横に置いたところ、石原から「10年早いな」と言われ周囲フォロー無視して時代違いますよ」と反論すると、石原は「悪かったね。時代が違うんだ」と笑って理解示した

※この「クールスから俳優へ」の解説は、「舘ひろし」の解説の一部です。
「クールスから俳優へ」を含む「舘ひろし」の記事については、「舘ひろし」の概要を参照ください。

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