クールスから俳優へ
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その後は岩城滉一とともに原宿・表参道を拠点にした硬派バイクチーム「クールス」を総括。矢沢永吉がリーダーだったロックバンド「キャロル」の親衛隊として有名となり、キャロルの解散コンサートのDVDにも登場している。 1975年、バイクチーム「クールス」からの選抜メンバーで結成されたロックバンド「クールス」のボーカルとして『紫のハイウェイ』(矢沢永吉(五大洋光)作曲)でデビュー。1977年のソロデビューの際には、"太ったブタが勝つか、しなやかな狼が勝つか"とのキャッチフレーズでプロモーションに打って出て、矢沢を挑発するものとして話題を呼んだ。 また、当時の東映社長・岡田茂に誘われ東映に籍を置き、『東映俳優センター』に所属、俳優としてのキャリアもスタートさせる。1976年、『暴力教室』で銀幕デビューを果たし、バイクを乗り回す不良生徒役で、主演で教師役の松田優作と殴り合う姿は鮮烈な印象を残した。同作を観た岡田茂東映社長が、東映での舘の売り出しを指示し、同年『男組 少年刑務所』で映画初主演。1978年には『皮ジャン反抗族』(長谷部安春監督)、1980年『薔薇の標的』(村川透監督)と東映で計3本の主演映画が製作された。これらの映画は暴走族のイメージがあるクールスを引きずり、また実際に本人の趣味でもあったため、オートバイを駆使する姿がトレードマークとなった。また、『新・女囚さそり 特殊房X』では、後年を通じても珍しい、完全な悪役(刑務所に新任のエリート課長。全く内面や心情の描写がなく残虐に徹する)も経験している。 テレビドラマに初出演した『西部警察』シリーズでの登場をきっかけに渡哲也と出会い、最初は、ハーレーダビッドソンを駆使する無頼漢的キャラクターの巽総太郎(愛称「タツ」)役で登場していたが、番組初回から半年間の出演契約となっていたために、半年後の第30話で西部署で最初の殉職刑事となり一旦降板している。1980年春の文献に東映で大々的に舘を売り出す計画があり、万全を期すため降板したと書かれたものがある(薔薇の標的 (1980年の映画)#製作)。 西部警察の撮影初日、東映時代から愛用している黒いディレクターズチェアを石原、渡のディレクターズチェアの横に置いたところ、石原から「10年早いな」と言われ、周囲のフォローを無視して「時代が違いますよ」と反論すると、石原は「悪かったね。時代が違うんだ」と笑って理解を示した。
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