クハ1650形(1651 - 1653)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 00:23 UTC 版)
「小田急1600形電車」の記事における「クハ1650形(1651 - 1653)」の解説
鉄道省より払い下げられた、明治時代の木造客車の台枠を流用して半鋼製の車体としたものであるため、種車に由来する寸法・構造の相違が一部にあり、台車中心間距離は種車製造当時のヤード・ポンド法がベースとなった寸法で、1651が10566mm(34ft 8in)、1652が11582mm(38ft 0in)、1653が10870mm(35ft 8in)であった。 車体は長さ16150mm、幅2620mm、天井高2355mmで、妻面は中央に貫通扉を設けた3枚窓構成でR6800mmの丸みを帯びており、側面は車体裾が切り上げられて台枠が露出していた。 前後の車端に半室(片隅式)運転台を設けた両運転台で、乗務員扉は当初より車体の左右両側面に設置されていた。側面窓は小田急では初の下段上昇式の2段窓で幅740mm、高さ860mmとなり、窓の上下にウィンドウ・ヘッダーとウィンドウ・シルと呼ばれる補強用の帯材を配置した構造であった。窓扉配置はdD(1)4(1)D5(1)Dd(d:乗務員扉、D:客用扉、数字:窓数、(数字):戸袋窓数)と両端の客用扉を乗務員扉に隣接させたレイアウトで1000mm幅の片開扉の3扉車で、1651・1653は当初は手動扉、1652は当初よりドアエンジン装備であった。 屋根上にはガーランド式ベンチレーターが左右に2列に配置され、中央部に歩み板が設置されていたほか、新宿方の車端部の台車上部には集電装置設置を想定したと推定される歩み板が設置されていた。 車内内壁は木製ニス塗り、天井は木製白色塗装、床は木製の床油引きで、室内灯は白熱灯で、白色のグローブが天井中央に1列に6基設置されてそれぞれに常用2灯が組込まれていたほか、うち3基には予備1灯も組込まれていた。座席は乗降扉間に長さ5119mmのロングシートを配し、背摺を含む奥行は505mm、1人当たりの座席幅は393mmとなっていた。乗務員室は左側隅部に設置されており、運転席背面・側面は内壁で区切られ、長さは1651・1653が980mm、1652が880mmであった。 また、クハ1652には床下に木造車時代のトラス棒が残されており、クハ1653は屋根上の乗降扉上部に水切りを設置していた。
※この「クハ1650形(1651 - 1653)」の解説は、「小田急1600形電車」の解説の一部です。
「クハ1650形(1651 - 1653)」を含む「小田急1600形電車」の記事については、「小田急1600形電車」の概要を参照ください。
クハ1650形(1654 - 1660)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 00:23 UTC 版)
「小田急1600形電車」の記事における「クハ1650形(1654 - 1660)」の解説
戦前のデハ1600形の設計を踏襲し、小田原寄りにのみ乗務員室を設置した片運転台車となった。 また、車体長が17m級に延長され、前面の幕板上部が弓形となり、さらに全溶接構造となるなど、基本となったデハ1600形とは一部で構造・寸法・形状が相違する。いずれも窓配置はd1D (1) 2 (1) D3 (1) D2である。 主な変更点は以下の通り。 車体長を15800mmから16350mmに、台車中心間距離を10400mmから11150mmに延長、車内は乗降扉間を各60mm、乗降扉と車端部間を各65mm延長。 乗降扉幅を1000mmから1100mmに変更。 前面の幕板上部が弓形となり、尾灯を前面上部左右に移設。 全溶接構造となる[要出典]。 正面貫通扉の上左右隅部を丸みを帯びた形状に変更。 乗務員室扉の高さを1755mmから1850mmに変更。 1952年日本車輌製造製のクハ1654とクハ1655は半室運転台(残りはパイプで仕切)、狭幅貫通路、1953年東急車輛製造製のクハ1656以降は全室運転台、広幅貫通路である。 これに伴い車端部の座席幅が2035mmから2075mmに変更となったが、後述するデハ1600形の貫通路改造までの間は窓付の仕切板で塞がれていた。また、1656-1660は正面貫通扉の蝶番の位置を運転台と反対側として、開く向きを逆向きとしている。
※この「クハ1650形(1654 - 1660)」の解説は、「小田急1600形電車」の解説の一部です。
「クハ1650形(1654 - 1660)」を含む「小田急1600形電車」の記事については、「小田急1600形電車」の概要を参照ください。
- クハ1650形のページへのリンク