ギリシア医学の限界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 20:43 UTC 版)
「古代ギリシア医学 (ガレノス以前)」の記事における「ギリシア医学の限界」の解説
以上でギリシア医学の迷信、哲学かあの独立と争いについて述べた。しかしギリシアの医学は目を見張るほど進歩していたにもかかわらず、超えることのできない制限を持っていた。この点についても、G.トムソン、ファリントンが説明を与えてくれる。ギリシア医学はある社会的先入観から成る一つのイデオロギー的要素によって成約されていた。まず、生産力の低さのため粗雑な道具しか存在せず、したがって解剖学的知識の蓄積も不十分であり、病人の看護の点でも自然の成行きを助ける以上のことはできなかった。医学は先に述べたように奴隷制の民主主義社会の発展にともなって見事に発達したが、当然その社会の中に含まれた制限に突き当ったのである。またその治療さえ、暇と財産の余裕のない者には受けることができなかった。そのような人は病気の成行きにまかせるほかなかった。このようにして医療の及ばない階級が存在することは、伝染病の流行を容易にする要因でもあった。 階級の別、すなわち医療を受ける資格の区別は同時にまた医者自身が受けた社会的地位の区別でもあった。すなわち医者は職人の階級に属した。しかも自由な市民は職人の地位を潔しとしないと考えられはじめた時であった。ただ医者はもっとも富貴な市民と親しい関係を結ぶという特殊な事情があった。しかし地味で貴重な医者の研究は不当に評価されていたことは必然であった。 体育訓練所に出入りするのは富裕な市民の子弟であった。ここでの指導者たちが与える医療上、養生上の恩恵に浴したのはこれらの階級であって労働者ではなかった。「空気、水、場所について」の著者が人間の食料や飲料水の種類、住む土地の風土気候ばかりでなく、ギリシア的自由が人間に及ぼす影響とオリエント的専制政治の及ぼすそれとの違いをも考慮に入れているのは、なるほど興味深いことである。けれども人間の環境のうちでは、その日々の職業ほど密接不断にその人に影響を及ぼすものがないにもかかわらず、この問題はヒポクラテス学派によって扱われなかった。こうした産業が労働者に及ぼす影響は、古代でも気付かれていながら無視された。石切場や鉱山には奴隷や囚人が送られ、政府はこのような危険な職業について重大な関心を示すことがなかった。このような職業と健康の問題に最初に注意を向けたのはパラケルスス(1490年-1541年)であり、さらにまたラマッツィーニ(1633年-1741年)であった。
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