キンボール・ピアノ、オルガン
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「キンボール・インターナショナル」の記事における「キンボール・ピアノ、オルガン」の解説
この部門は、1857年にシカゴでウィリアム・ウォレス・キンボール(1828年 - 1904年)が設立したW・W・キンボール・アンド・カンパニーというピアノ販売業者が起源である。1864年、キンボールは宝石店の一角に構えていた最初の店舗から移転して、クロスビーズ・オペラ・ハウス(英語版)の館内に販売店を構え、チッカリング (Chickering & Sons)、J&Cフィッシャー・ピアノ・カンパニー (the J & C Fischer Piano Company)、ハレット&デイヴィス (Hallet & Davis)、F・C・ライト (F.C. Lighte)、ジョセフ・P・ヘイル (Joseph P. Hale)、W・P・エマーソン・ピアノ・カンパニー (W.P. Emerson Piano Company) など、東海岸のピアノ製造業者の製品を取り扱った。キンボールは、ピアノよりは安価なリード・オルガンも販売していた。1871年には、シカゴ大火がキンボールの商業施設を全て破壊したが、キンボールは自宅を拠点に販売を継続し、販売業を再建した。 1877年、W・W・キンボールは、J・G・イヤーハフ・カンパニー (J.G. Earhuff Company) のアクション(英語版)と下請けに製作させたケースを使って、自前のリード・オルガンの組み立て製造を始めた。その3年後には、完全に自社による製造を始めた。1882年、キンボール社が法人化され、リード・オルガンを製造する大規模な工場が建設された。その後、程なくして工場は年間15,000台のオルガンを生産するようになり、世界最大のオルガン製造業者となった。キンボールは、1922年にリード・オルガンの生産を止めたが、これまでに生産した台数は、403,390台に達していた。 1887年、キンボールは5階建のピアノ製造工場の建設に着手し、翌年には高品質のピアノを500台生産した。キンボールは、スタインウェイ・アンド・サンズやベヒシュタインから熟練の技術者たちを引き抜き、彼らが、ピアノの製造工程を改善していった。1893年、シカゴ・コロンブス万国博覧会で、キンボールは「シカゴ・コロンブス万国博覧会賞 (Worlds Columbian Exposition Award)」を受賞した。キンボールは、高い品質、効率的な製造、他の諸都市や遠隔地を担当する35人から40人の出張販売員を各地に派遣する説教的な販売手法で知られていた。東海岸の主要なピアノ製造業者たちは、シカゴの博覧会を相手にしなかったが、これはシカゴの地元びいきを恐れたためでもあり、また、彼らのブランドの伝統への忠実さとは哲学的に全く異なる、キンボールの近代的な効率性追求が、売り上げの面でも脅威になっていたという事情があった。 1890年、キンボールは、イギリス人のフレデリック・W・ヘッジランド (Frederic W. Hedgeland) を雇ったが、彼はロンドンで自分の家族が経営するオルガン製造業者W・M・ヘッジランド (W.M. Hedgeland) で修行を積んでいた。ヘッジランドは、大ぶりのアップライト・ピアノ程度の大きさで可搬式パイプオルガンの設計を主導した。キンボールのパイプオルガン部門は、大規模な、常設型のパイプオルガンも手がけ、1901年にはモルモン・タバナクル(英語版)にもパイプオルガンを設置した。1942年にパイプオルガン部門は廃止されたが、それまでに合わせて7,326台ほどが設置されていた。 キンボールは、自動ピアノにも関わり、1901年に最初の自動演奏機構を手がけた。同様に、1915年から1925年にかけて、キンボールは蓄音機も製造して人気のラインとなった。 第二次世界大戦中、キンボールは、ボーイング、ダグラス、ロッキードなど主要な軍用機製造業者のために、航空機の部品を製造した。戦後、ピアノの製造が再開されたが、W・W・キンボール・ジュニア (W.W. Kimball Jr) が、いくつも財務上の判断の誤りを重ねたこともあって、社運は傾いた。1950年代半ば、キンボールはシカゴ郊外のメルローズ・パーク(英語版)に豪華な新工場を建設したが、コストのかさむこの工場の低い生産性は、売れ行きの後退と相まって、会社に深刻な財務上の危機をもたらした。キンボールは、世界最大のピアノ製造会社の地位から、第7位まで転落し、破綻寸前の状態に追い込まれた。 1959年、W・W・キンボール・カンパニーは、キンボール家の最後の相続人から、アーノルド・F・ハビッグ (Arnold F. Habig) によって買収され、ハビッグが創設して1950年から事業を始めたジャスパー・コーポレーション (The Jasper Corporation) の完全子会社となった。やがて両者は合併し、後にキンボール・インターナショナルと改称した。 ピアノ製造工程は、インディアナ州南部のウェスト・バーデン(英語版)に移転し、再び活性化して成長を始めた。企業買収から10年後、キンボールは再び世界最大のピアノ製造会社に返り咲いた。
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