キンボール・ピアノ、オルガンとは? わかりやすく解説

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キンボール・ピアノ、オルガン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 05:34 UTC 版)

キンボール・インターナショナル」の記事における「キンボール・ピアノ、オルガン」の解説

この部門は、1857年シカゴウィリアム・ウォレス・キンボール1828年 - 1904年)が設立したW・W・キンボール・アンド・カンパニーというピアノ販売業者起源である。1864年キンボール宝石店一角構えていた最初店舗から移転して、クロスビーズ・オペラ・ハウス(英語版)の館内販売店構えチッカリング (Chickering & Sons)、J&Cフィッシャー・ピアノ・カンパニー (the J & C Fischer Piano Company)、ハレット&デイヴィス (Hallet & Davis)、F・Cライト (F.C. Lighte)、ジョセフ・P・ヘイル (Joseph P. Hale)、W・P・エマーソン・ピアノ・カンパニー (W.P. Emerson Piano Company) など、東海岸ピアノ製造業者の製品取り扱ったキンボールは、ピアノよりは安価なリード・オルガン販売していた。1871年には、シカゴ大火キンボール商業施設全て破壊したが、キンボール自宅拠点販売継続し販売業再建した1877年W・W・キンボールは、J・G・イヤーハフ・カンパニー (J.G. Earhuff Company) のアクション英語版)と下請けに製作させたケース使って自前リード・オルガン組み立て製造始めたその3年後には、完全に自社による製造始めた1882年キンボール社が法人化され、リード・オルガン製造する大規模な工場建設された。その後程なくして工場年間15,000台のオルガン生産するようになり、世界最大オルガン製造業者となったキンボールは、1922年リード・オルガン生産止めたが、これまで生産した台数は、403,390台に達していた。 1887年キンボール5階建のピアノ製造工場建設着手し翌年には高品質ピアノ500生産したキンボールは、スタインウェイ・アンド・サンズベヒシュタインから熟練技術者たち引き抜き、彼らが、ピアノ製造工程改善していった。1893年、シカゴ・コロンブス万国博覧会で、キンボールは「シカゴ・コロンブス万国博覧会賞 (Worlds Columbian Exposition Award)」を受賞したキンボールは、高い品質効率的な製造、他の諸都市遠隔地担当する35人から40人の出張販売員を各地派遣する説教的な販売手法知られていた。東海岸主要なピアノ製造業者たちは、シカゴ博覧会相手にしなかったが、これはシカゴ地元びいき恐れたためでもあり、また、彼らのブランド伝統への忠実さとは哲学的に全く異なる、キンボール近代的な効率性追求が、売り上げの面でも脅威になっていたという事情があった。 1890年キンボールは、イギリス人フレデリック・W・ヘッジランド (Frederic W. Hedgeland) を雇ったが、彼はロンドン自分の家族が経営するオルガン製造業者W・M・ヘッジランド (W.M. Hedgeland) で修行積んでいた。ヘッジランドは、大ぶりアップライト・ピアノ程度大きさ可搬式パイプオルガン設計主導したキンボールパイプオルガン部門は、大規模な常設型パイプオルガンも手がけ、1901年にはモルモン・タバナクル(英語版)にもパイプオルガン設置した1942年パイプオルガン部門廃止されたが、それまで合わせて7,326台ほどが設置されていた。 キンボールは、自動ピアノにも関わり1901年最初自動演奏機構を手がけた。同様に1915年から1925年にかけて、キンボール蓄音機製造して人気ラインとなった第二次世界大戦中キンボールは、ボーイングダグラスロッキードなど主要な軍用機製造業者のために、航空機部品製造した戦後ピアノ製造再開されたが、W・W・キンボール・ジュニア (W.W. Kimball Jr) が、いくつも財務上の判断の誤り重ねたこともあって、社運は傾いた。1950年代半ばキンボールシカゴ郊外のメルローズ・パーク(英語版)に豪華な新工場建設したが、コストのかさむこの工場の低い生産性は、売れ行き後退相まって会社深刻な財務上の危機もたらしたキンボールは、世界最大ピアノ製造会社地位から、第7位まで転落し破綻寸前の状態に追い込まれた。 1959年W・W・キンボール・カンパニーは、キンボール家の最後相続人から、アーノルド・F・ハビッグ (Arnold F. Habig) によって買収され、ハビッグが創設し1950年から事業始めたジャスパー・コーポレーション (The Jasper Corporation) の完全子会社となった。やがて両者合併し、後にキンボール・インターナショナル改称したピアノ製造工程は、インディアナ州南部のウェスト・バーデン(英語版)に移転し、再び活性化して成長始めた企業買収から10年後、キンボールは再び世界最大ピアノ製造会社返り咲いた

※この「キンボール・ピアノ、オルガン」の解説は、「キンボール・インターナショナル」の解説の一部です。
「キンボール・ピアノ、オルガン」を含む「キンボール・インターナショナル」の記事については、「キンボール・インターナショナル」の概要を参照ください。

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