オルガン製造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 22:40 UTC 版)
浜松尋常小学校のオルガンは1887年にアメリカから輸入され寄付されたリードオルガンで45円であったという。寅楠は修理の際にこの構造を模写し「自分は3円で造る自信がある」と言ったという。 当時浜松で飾り職人をしていた河合喜三郎と協力し2ヶ月後にオルガンを完成させたが、浜松の小学校や静岡の師範学校での評価は低かった。そこで東京の音楽取調所(現東京藝術大学)までオルガンを運んだ。東海道線が全通していなかった当時、オルガンを担いで徒歩で箱根峠を越えての上京だったという。音楽取調所御用掛・伊澤修二の評価は、「調律が不正確」というものだった。音階や調律の知識のなかった寅楠は1ヶ月かけて音楽取調所で音楽理論を学び、河合喜三郎の私財をもってオルガン第2号を製作した。 1890年に第3回内国勧業博覧会(上野)にオルガンを出品し2等賞(オルガンでは1位、2位は西川虎吉のオルガンであった)。
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