手工芸的特性と活動範囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 19:15 UTC 版)
「アルプ・シュニットガー」の記事における「手工芸的特性と活動範囲」の解説
シュニットガーの手工芸的および芸術的特性はたちまち評判となった。彼は初め近隣地域から注文を請けていたが、すぐにブレーメンやハンブルクからも注文が来るようになった。シュニットガーは1677年から1682年までシュターデで仕事を行い、いくつかのオルガンを完成させたが、これはまだフス家から依頼されたものであった。その後、彼はハンブルクに移り、1682年9月1日に市民宣誓を行い、このハンザ都市の正式な市民となった。最初の大きな注文は聖ニコライ教会の教会役員長からもたらされた。それは67ストップ、4つの鍵盤、ペダル鍵盤と4,000本以上のパイプを備えたオルガンの製造であった。このオルガンは、当時おそらく世界最大の楽器であり、シュニットガーの国際的名声を証明している。最大のパイプは860ポンドの重さがあった。このオルガンは1842年のハンブルク大火によって焼失した。これに対して、同じくハンブルクの聖ヤーコプ教会には、1689年から1693年にアルプ・シュニットガーが改造・一部新設したオルガンは現存している。これは60ストップ、4つの鍵盤、ペダル鍵盤をもつ現存する最大のバロックオルガンの一つである。多くのオルガン製作者や作曲家がこのオルガンを見学に訪れている。その中にはディートリヒ・ブクステフーデ、1703年頃にゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル、1720年にヨハン・ゼバスティアン・バッハらの名前がある。 シュニットガーは北ドイツ全域から注文を承けるようになった。さらには、イングランド(1690年)、ロシア(1691年にピョートル1世から、および1697年)、スペイン(1702年以後)、ポルトガル(1701年)まで彼の活動範囲は拡大し、オルガンは輸出されていった。1699年にシュニットガーは、オルデンブルクおよびデルメンホルスト伯領、ブレーメンおよびフェルデン公領のオルガン製造に関する特権を得、1702年にはシュレースヴィヒ公領およびホルシュタイン公領においても同様の特権を得た。さらに1708年にはプロイセン王のオルガン製造者に指名された。
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