キャリア序盤:1981–1985
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「ローレンス・テイラー」の記事における「キャリア序盤:1981–1985」の解説
1981年シーズン、テイラーは9.5サックを記録し、史上初の最優秀守備選手と最優秀新人守備選手の同時受賞を果たした。テイラーの活躍はチームの躍進を支えた。チーム失点は前年の425から257へ激減し、チーム勝敗も前年の4勝12敗から9勝7敗と改善して、NFC東地区3位、NFCの第5シードでプレイオフに進出した。ワイルドカードプレイオフでフィラデルフィア・イーグルスを破り、ディビジョナルプレイオフでは、ビル・ウォルシュの下、新攻撃システムであるウェストコーストオフェンスを構築し、自身初のプレイオフ出場を果たしたジョー・モンタナ擁するサンフランシスコ・49ERSと対戦した。49ERSはチーム最高のブロッカーであるジョン・エイヤーズを割リ当ててテイラーを抑え込み、テイラーに1サックしか許さなかった。試合は49ERSが38対24で勝利し、この試合を勝ち抜いた49ERSは第16回スーパーボウルを制覇した。フィールド上での活躍とは対象的に、シーズン終盤にスピード違反を原因とした交通事故を起こしており、この時点ですでにフィールド外での問題行動が露見していた。 1982年シーズンはストライキにより、16試合から9試合に短縮されたが、テイラーのキャリアにおいて印象深い試合が含まれている。感謝祭の日に全国放送されたデトロイト・ライオンズ戦、第4Q序盤6対6の同点でライオンズはジャイアンツの敵陣深くまで攻め込んでいた。この場面でライオンズQBのゲイリー・ダニエルソンは左ライン際にパスを投げたが、そのパスをテイラーがインターセプトし、そのまま相手選手を振り切って97ヤードリターンタッチダウンを決めた。このプレーはラインバッカーとしてパワーだけでなく規格外のスピードを兼ね備えていることを全米に印象づけたプレーであり、この年も最優秀守備選手に選ばれた。 1982年シーズン終了後、ヘッドコーチのレイ・パーキンスがアラバマ大学のヘッドコーチに転出し、後任に守備コーディネーターのビル・パーセルズが就任した。この人事はジャイアンツとテイラーにとって大きな変化を以後もたらすことになる。 1983年シーズンは、テイラーが旧契約に不満を示し、トレーニングキャンプをボイコットするホールドアウトから始まった。テイラーが旧契約で復帰すると決めたとき、プレシーズンゲームが3試合残っている状態であった。プレシーズンゲームの途中から復帰したテイラーはこの年も9サック、3年連続オールプロ選出と大活躍したが、チームは低迷した。テイラーはインサイド・ラインバッカーのハリー・カーソンが怪我したことの影響でインサイドとアウトサイドの両方で出場することを余儀なくされたが、その結果、史上初めて両方の守備位置でオールプロに選出された。プレーで活躍した一方、負けが続くことに憤り、ミーティングに遅刻したり、コンディショニングを欠席したりといった問題行動が散見されるようになった。 1983年シーズン終了後、テイラーは新興リーグのUSFLとNFLの競争の渦中に巻き込まれた。テイラーは1988年からUSFLでプレーするという条件で、USFLのチームニュージャージー・ジェネラルズのオーナーであったドナルド・トランプから100万ドルを無利子、返済期間25年で借り受けた。しかし、テイラーはこの決断を後悔し、1ヶ月もしないうちに再交渉に入った。テイラーの代理人は個人的にトランプと交渉し、テイラーはジャイアンツでプレーを続けることになった。交渉の結果、ジャイアンツが100万ドル無利子貸付を含む新契約をテイラーと締結し、テイラーがトランプに返済、ジャイアンツがトランプに違約金を支払うこととなった。この契約により、テイラーはジャイアンツと6年契約を締結した。 1984年シーズン、チームは前年の低迷から復活し、9勝7敗でレギュラーシーズンを終えた。テイラーは9月の内に4サック決める好調な滑り出しで年間11.5サックを記録し、4度目のオールプロに選出された。ワイルドカードプレイオフでロサンゼルス・ラムズを破ったが、ディビジョナルプレイオフでこの年のスーパーボウル王者の49ERSに敗れ、シーズンを終えた。 1985年シーズン、チームは1984年シーズンの成績回復とプレシーズンゲーム全勝により、前シーズンとは対象的に楽観的なムードでシーズンに突入し、10勝6敗でレギュラーシーズンを終えた。チーム守備は強化され、リーグ1位の68サックを記録し、テイラーはその内の13サックを記録して、チームを牽引した。このレギュラーシーズン中、マンデーナイトフットボールのワシントン・レッドスキンズ戦、テイラーはレッドスキンズQBのジョー・サイズマンをサックし、このサックによって、サイズマンは足を複雑骨折をして引退に追い込まれた。サック直後、重傷の様子に取り乱したテイラーは、サイズマンに同行したいと救急隊員に叫び、このプレーはアメリカでテイラーに関する印象深いプレーとなっている。なお、サイズマンはテイラーのサックを批判することもなく、テイラーはこのプレーの映像を見たことがないし、見たくもないと述べている。ワイルドカードプレイオフで前年スーパーボウル王者の49ersを破ったが、ディビジョナルプレイオフでこの年のスーパーボウル王者のシカゴ・ベアーズに敗れ、シーズンを終えた。
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