カタルーニャ独立プロセス
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「2015年カタルーニャ自治州議会選挙」の記事における「カタルーニャ独立プロセス」の解説
2012年のカタルーニャ自治州議会選挙で集中と統一(CiU)は18議席を失う予期せぬ敗北を喫し、カタルーニャ州政府首相のアルトゥール・マスは困難な政治的状況に置かれた。正式な選挙連立ではないとはいえ、CiUのマス政権を支持すると約束したカタルーニャ共和主義左翼(ERC)の党首ウリオル・ジュンケーラスとの協定への署名を余儀なくされ、その見返りにカタルーニャの独立の迅速な遂行を求められた。 2013年1月23日、カタルーニャ自治州議会は「カタルーニャ住民の主権と決定権に関する宣言」(カタロニア語版)を採択し、「民主的で正当な理由に基づき、カタルーニャ住民は主権を有する政治的・法的主体という資質を有する」と謳った。5月8日にはスペイン憲法裁判所(スペイン語版)によってこの宣言が暫定的に延期され、2014年3月25日には主権の主張が無効かつ違憲であるとする判断が下された。これと時を同じくして、投票予定の政党を調べる世論調査では、1932年以降で初めてERCがトップに立った。2012年州選挙での大敗の結果として、また経済危機に対するマスの経営管理やCiUの大物による汚職スキャンダルの結果として、CiUの支持率は低下した。CiU創設者のジョルディ・プジョールはアンドラでの未申告の相続に関する脱税スキャンダルに巻き込まれ、付随してカタルーニャ州首相時代の贈収賄、横領、不法行為、密売、公文書偽造、資金洗浄などの犯罪行為が捜査された。 2013年12月12日、カタルーニャ州政府はスペイン政府と交渉するための政治的権限を得ることを目的として、2014年11月9日にカタルーニャ独立の賛否を問う拘束力のない住民投票を行うと発表した。スペイン政府のマリアーノ・ラホイ・ブレイ首相はこの住民投票を阻止する意向を示し、このような住民投票が違法であり自治州の権限の範囲外にあるとした。このような状況ではあったが住民投票は予定通り開催され、独立反対派がのきなみ棄権したことから投票率は約40%と低調だったものの、80%以上の投票が独立賛成に投じられた。独立賛成派の政党はこの結果を成功であるとし、CiUは住民投票後の世論調査で支持率を回復した。 2014年11月25日にはマスが公衆の前でカタルーニャ独立に向けた計画を説明し、もし共同での選挙名簿の提出などでERCと合意に達するならば、2015年中に独立の賛否を問う法的拘束力を持った臨時議会選挙を行うことを提示した。ERCのジュンケーラスは計画の大半に同意したが、共同での選挙名簿提出などについてはCiUとの協定破棄を示唆して拒否した。両政党は最終的に合意に達し、2015年1月26日、マスは自治州議会選挙が9月27日に実施される可能性を発表した。 仮にカタルーニャが独立すれば新カタルーニャはEU非加盟国となるとマリアーノ・ラホイ・ブレイは述べた。ホセ・マヌエル・ガルシア=マルガーリョは新カタルーニャ国はEU非加盟にはならないとする立場をとりながらも、キャピタルフライト、銀行閉鎖、貿易への打撃の可能性があると主張した。ウリオル・ジュンケラスは、(独立した後に悲惨なことがおこると)不必要な恐怖を煽るスペイン政府を非難した。
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