知床旅情
(オホーツクの舟歌 から転送)
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「しれとこ旅情」(しれとこりょじょう)は、民謡「さらばラウスよ」に、森繁久彌が、新たな歌詞を添詞をした楽曲。初出時の題は『しれとこ旅情』。後に「知床旅情」の表記にされた。1960年発表。
注釈
- ^ 具体的に「知床」と名の付く市町村はない。
- ^ 合田道人著『怪物番組 紅白歌合戦の真実』(2004年、幻冬舎刊)に掲載の記録では、「知床旅情」でなく「しれとこ旅情」である。
- ^ NHK紅白歌合戦で聴きたい曲を、はがき・インターネットなどで募ったもので、現時点では2005年のみ実施された企画となっている。
- ^ 加藤登紀子歌唱の1991年版だと「知床」に差し替えられている。
- ^ 1970年11月発売で1971年11月まで『日本グラモフォン』 11月から『ポリドール株式会社』。(ポリドール・レコード#日本ポリドール株式会社 → 日本グラモフォン株式会社 → ポリドール株式会社)
- ^ 桑田は自身が生粋の純日本人であることを公言しており、日本の文化や日の丸・国歌「君が代」を肯定する考えがあることも明かしている[13][14][15][16]。また、東日本大震災発生から一週間後に放送された自身のラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』(TOKYO FM)では「日本の国民のみなさんは素敵で優しい人たちだと思う。この国に生まれて良かったなと思います」と発言している[17]。詳細は桑田佳祐#思想・哲学、桑田佳祐#日本文化への造詣も参照のこと。
- ^ 桑田はインタビューの中で「やはり僕は日本人[注 6]。いくらロックに憧れても、僕らは発祥地たる西洋の人たちと同じにできないじゃないですか。それより日本人には日本人のボディサイズに合った歌があって、僕は何とかそれを見つけたい」「森繁久彌さんの歌詞と、生ギター一本で歌う加藤(登紀子)さんの姿は今回、僕にとっての”いい歌”の基準でした」と述べている[13]。
出典
- ^ a b c d e 『決定盤 森繁久彌大全集』日本コロムビア、2007年、COCP-34538〜9、付属ライナーノーツ。
- ^ a b 『主婦と生活』1971年12月号、145頁。
- ^ “ディスコグラフィー[1970年代]”. 加藤登紀子 オフィシャルサイト. 2022年9月12日閲覧。
- ^ a b 富澤一誠のフォークが好き! “ディスカバー・ジャパン”キャンペーンが後押しした大ヒット「知床旅情」、OnGen、2006年6月14日。
- ^ 長田暁二『昭和歌謡 流行歌からみえてくる昭和の世相』敬文舎、2017年、151頁。ISBN 978-4-906822-76-8。
- ^ a b c d 「メロディーとともに (24) 知床旅情」『神戸新聞』1999年10月8日付夕刊、3面。
- ^ ■ 峠を越えて 「知床旅情」50周年〈1〉 「地の涯」に人情の歌、読売新聞、2010年2月10日。
- ^ 峠を越えて 「知床旅情」50周年〈1〉 「地の涯」に人情の歌知床特集
- ^ 『歌い継がれる名曲案内 音楽教科書掲載作品10000』日本アソシエイツ、2011年、760-761頁。ISBN 978-4816922916。
- ^ “「白夜」の読み方は?”. NHK放送文化研究所 (2000年6月1日). 2021年1月26日閲覧。
- ^ 『千歳船橋駅の列車接近メロディに「知床旅情」を導入します 〜千歳船橋にゆかりがあり、文化勲章受章の「森繁久彌氏」が作詞・作曲〜』(PDF)(プレスリリース)小田急電鉄、2019年11月18日。 オリジナルの2019年11月18日時点におけるアーカイブ 。2019年11月23日閲覧。
- ^ 産経新聞 2012年7月5日付 産経妙より
- ^ a b c 『週刊文春』2014年9月18日号でのインタビュー特集『僕はポップスとニッポンを愛す』(p17 - 18)より
- ^ 桑田佳祐 – 涙をぶっとばせ!!(Full ver.) Youtube 2020年5月5日配信 2020年12月9日閲覧。2:15 - 2:17を参照。
- ^ ぴあDay(1984年)1984年7月の「ぴあ」 ぴあDAY 2019年7月5日配信 2020年12月8日閲覧。
- ^ シークレットライブ '99 SAS 事件簿 in 歌舞伎町 SOUTHERN ALL STARS OFFICIAL SITE
- ^ 桑田佳祐と吉田拓郎との隠された過去。今日までそして明日から。 - Techinsight 2011年3月20日配信 2022年5月5日閲覧。
固有名詞の分類
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