オブジェクト指向哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 22:05 UTC 版)
「思弁的実在論」の記事における「オブジェクト指向哲学」の解説
オブジェクト指向存在論(object-oriented ontology, OOO)の中心的な主張とは、オブジェクトは哲学においてあまりにも長い間、軽い扱いしか受けておらず、より「ラディカルなアプローチ」ばかりが注目されてきたという議論である。グレアム・ハーマンはこれらの「ラディカルな哲学」を2種類に分類している。1つ目は、オブジェクトを「侵食する(undermine)」タイプであり、オブジェクトは現実を覆い隠す表皮に過ぎないと考えるもので、一元論や永久の流転といった形式を取る。2つ目は、オブジェクトを「乱掘する(overmine)」タイプであり、オブジェクトという考えそのものが素朴な存在論に過ぎず、性質(例えば、「りんご」なるものは存在せず、「赤い」「固い」等の性質だけがある)や、関係(ラトゥールとホワイトヘッドの両者に見られる態度だが、前者にとってオブジェクトとは「修正、変形、混乱、創造」 するだけである)の根底に「オブジェクト」など存在しないと考える。オブジェクト指向哲学の特徴は、反実在論への批判のみならず、ある種の実在論に対する批判によっても特徴づけられる。ハーマンに言わせれば、思弁的実在論内部での派閥が増えるにつれ、「実在論」という概念は哲学においてたちまち重要性を失っていくだろうという。実際に、彼はすでに自らのオブジェクト指向哲学と他のタイプの実在論の差別化を図る論文をいくつか書いており、オブジェクトを「無用のフィクション」とみなして拒絶する実在論は、十分に実在論的ではないと論じている。 ハーマンによれば、あらゆるものはオブジェクトである。郵便箱、電磁波、時空、イギリス連邦、命題的態度まで、物理的なものであれフィクション上のものであれ、すべて等しくオブジェクトである。汎心論に対する強い共感を表明しつつ、ハーマンは新しい哲学的分野である「思弁的心理学(speculative psychology)」を考案し、「宇宙論的な心のレイヤー」と「ミミズ、埃、軍隊、チョーク、そして石ころが有する特定の心的現実を探りだす」 ことを提唱している。 ハーマンはある種のアリストテレス的な実体の概念を擁護している。ライプニッツは実体と集合体を設けたが、ハーマンはそれとは異なり、オブジェクトが合体すると、新たなオブジェクトが生まれると主張する。こうして、現実はオブジェクトからのみ構成されており、オブジェクトの連なりの「底」などはない、というア・プリオリな形而上学を構築しているのである。実体についての多くの理論とは異なり、実体が永遠不滅である必要はないとハーマンは考えており、アリストテレスが論じたように、実体は生じることもあれば消滅することもあるとされる。ハーマンにとって、オブジェクトはそれ自体が無限後退の最中にあり、他のいかなるものによっても不可知かつアクセス不能な存在である。こうして、彼は「代替因果(vicarious causality)」と呼ばれる理論にたどり着く。中世イスラム哲学における機会原因論にインスパイアを受けたハーマンの主張によれば、いかなる2つのオブジェクトも「感覚的代替物(sensual vicar)」 の媒介なしには相互作用できないとされる。そして、ハーマンによれば相互作用できるオブジェクトには2つの種類があり、それらは現実的オブジェクト(real objects)と感覚的オブジェクト(sensual objects)である。前者は日常生活における物事のことであり、後者は相互作用を媒介する戯画(caricatures)にあたる。ハーマンによれば、例えば炎が綿を燃やすとき、綿の本質はいかなる関係によっても網羅不可能なので、炎は綿の本質には触れていない。そうではなく、燃えるという事態を引き起こす綿の戯画が媒介となることによって、相互作用が起きているのである。
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