エンジン事業への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/24 01:22 UTC 版)
「フェアバンクス・モース」の記事における「エンジン事業への進出」の解説
19世紀末、カタログによれば、事業はアメリカ合衆国西部にまで拡大していた。製造する製品は、タイプライター、手押し車、軌道自転車、ポンプ、トラクター、倉庫、発送用の道具などであり、また道具、配管、計器、ガスケット、部品、バルブ、パイプなどを一括請負で納入するサプライヤーにもなっていた。1910年のカタログは800ページにも及ぶ分量であった。 1890年代には、油やナフサを使用した単気筒ホットチューブエンジン(英)の製造も開始した。フェアバンクス・モースのガスエンジンは農業用として成功し、灌漑、発電所、油田でも使用された。また、住宅用のエンジン発電での照明システムでも有名である。フェアバンクス・モースの発電システムの燃料は1893年にケロシン、1905年に石炭ガスに代わり、1913年にはセミディーゼルエンジン化し、1924年には全ディーゼル化が完了した。1916年、1馬力、3馬力、6馬力のZ型単気筒エンジンの製造を開始し、その後30年以上に渡って50万台以上が製造され続けた。Z型エンジンは農家に好まれ、N型エンジンは漁師に好まれた。 フェアバンクス・モースはまた、自動車やクレーン、テレビ、ラジオ、冷蔵庫等の製造にも進出したが、これらの分野では失敗に終わった。ルドルフ・ディーゼルの特許がアメリカで切れる1912年、フェアバンクス・モースは大型エンジン事業に足を踏み入れた。フェアバンクス・モースの最も大きなY型セミ・ディーゼルエンジンは、砂糖、塩、米、木材、産業用機関車などに使われた。Y型は単気筒から6気筒までを選べ、それぞれ25〜200馬力を発揮した。Y-VA型エンジンは初の高圧縮比エンジンにして冷間での始動ができた、フェアバンクス・モースにとっては初の、外国の特許を使用しないディーゼルエンジンであった。それはベロイトで設計され、1924年に発表された。のちに船舶COエンジンとして改良され、Y型からE型になった。そのころ、フェアバンクス・モースはメジャーなエンジン製造業者となり、鉄道・船舶向けの工場も開設した。ディーゼル機関車、タグボートや船舶の開発は1930年代まで続き、第2次世界大戦時には、アメリカ海軍から大量のエンジンの注文を受けた。
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