エルズミア運河
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「トーマス・テルフォード」の記事における「エルズミア運河」の解説
シュロップシャーで高い評価を得たため、テルフォードは1793年にエルズミア運河の詳細な設計と建築のマネジメントを委任された。エルズミア運河はシュロップシャー北西部のエルズミアの町を通って、レクサムの製鉄所・炭鉱とチェスターをつなぐものであり、既に存在してたチェスター運河とマージー川を活用することになっていた。 いろいろな構築物の中でも、スランゴスレンの谷でディー川にかかるポントカサステ水路橋はめざましい建築物であり、テルフォードは鋳鉄プレートで作って石細工で固定するトラフからなる新しい工法を用いてこれを作った。ポントカサステ水路橋は1,000フィート (300 m)の長さで谷底から126フィート (38 m)の高度を有しており、45フィート(15m)の幅がある19個のアーチがある。テルフォードは大規模建築物に鋳鉄を用いた最初期の建築家であったため、砂糖と鉛を煮詰めたシーリング材を鉄の接合に用いるなどの新しい技術を開発した。著名な運河技士であったウィリアム・ジェソップがプロジェクトを監督したが、工事の細かい点についてはテルフォードにまかせていた。水路橋はユネスコの世界遺産に指定されている。 同時期にテルフォードはシュルーズベリー運河の設計と建築に関わった。もともとの担当技師だったジョサイア・クロウスが1795年に亡くなったため、テルフォードがこれを引き継いだ。このプロジェクトでテルフォードが関わった作品としては、鋳鉄を用いたロングドン=オン=ターンの水路橋の設計があげられる。これはポントカサステ水路橋に先立つもので、たったひと月前にベンジャミン・アウトラムがダービー運河に作った英国最初の鋳鉄水路橋よりもずっと大きいものであった。 エルズミア運河は1805年に完成し、テルフォードの土木技師としての名声は高まった。このため、運河建築の責任者としてしなければいけない仕事以外にも、テルフォードは多くの他のプロジェクトについていつも意見を求められるようになった。リヴァプールの給水設備やロンドンの波止場の改修、ロンドン橋の再建(1800年頃)などはこうしたプロジェクトの例である。 最も有名なものとしては、再度ウィリアム・パトニーの意向を受け、1801年にテルフォードはスコットランドのハイランド地方の輸送網を改善するための基本計画を策定した。これは20年以上かかる一大プロジェクトで、カレドニアン運河、グレート・グレン、クリナン運河の部分的な再設計、920マイル (1,480 km)の新道路、クライゲラヒー橋など1,000本を越える新しい橋、アバディーン、ダンティー、ピーターヘッド、ウィック、ポートマホマック、バンフを含む多数の港湾改修、32の新しい教会などからなるものであった。 テルフォードはスコットランドのローランド地方の幹線道路建築も請け負っており、これは184マイル (296 km)の新道路と、カークーブリーのトングランドでディー川を渡るための112フィート(34 m)の石橋から129フィート(39 m)の高さがあるラナークのカートランド・クラッグズ橋(1822年)まで、多数の橋からなるものであった。 テルフォードは1806年にスウェーデン国王グスタフ4世アドルフから、ヨーテボリとストックホルムの間をつなぐ運河建設について相談を受けた。テルフォードの計画が採用され、イェータ運河の建設が1810年にはじまった。テルフォードはこの頃スウェーデンまで旅をし、重要性の高い最初の掘削を監督した。 テルフォードのプロジェクトの多くは大蔵省証券貸付委員会委員という職務のせいで請け負ったものであった。この機関は1817年の貧困者雇用法により設置されたもので、雇用を生みだす公共事業に財政支援を行うことを目的としていた。
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