エリア2 鹿児島とは? わかりやすく解説

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エリア2 鹿児島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 23:01 UTC 版)

明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の記事における「エリア2 鹿児島」の解説

地図 No. 名称 所在地 概要 2-1 旧集成館 Shuseikan (ID1484-006) 鹿児島県鹿児島市 欧米列強対抗するため、薩摩藩島津斉彬1851年から現在の鹿児島市吉野町地区工場群設けて軍事強化産業育成図った集成館事業)。製鉄造船紡績など幅広い分野手掛けた1863年薩英戦争1877年西南戦争では被害を受けその度再興したが、1915年廃止された。国の史跡指定。登録面積は9.98 ha緩衝地域61.09 ha)である。 旧集成館反射炉跡 反射炉下部遺構佐賀藩有していたオランダ技術書の日本語訳を基にしつつ、在来工法による石積み薩摩焼技術用いた耐火煉瓦製造など、和洋折衷技術反射炉建設された。 旧集成館機械工場 金属加工船舶修理部品加工が行われた機械工場。建物国の重要文化財薩英戦争により初期集成館一度焼失するその後島津忠義は、幕府直営長崎製鉄所手本に、オランダから工作機械輸入して再興行い1865年建物完成した1863年製造オランダ製形削盤現存しており、国の重要文化財指定されている。「尚古集成館」として公開されている。 旧鹿児島紡績所技師館 イギリス人技術者宿舎として建設され洋館で、洋風外観ながら、には尺寸法が用いられたほか、屋根裏小屋組和式であるなど、和洋折衷となっている。建物国の重要文化財島津忠義は、1867年鹿児島紡績所建設したが、その際イギリスから7名の技術者招いて工場設計と技術指導依頼したイギリス人技術者帰国後は、大砲製造支配所などに使用された。1882年鹿児島城本丸跡移築され学校などに使用された後、1936年に再び現在の場所に移築された。「異人館」として公開されている。 2-2 寺山炭窯跡 Shuseikan/ Terayama Charcoal Kiln (ID1484-007) 1858年建設され木炭製造用の石積み窯跡。国の史跡指定(「旧集成館」の附(つけたりとしての指定)。集成館事業必要な大量燃料を補うため、島津斉彬の命により建設された。登録面積は0.64 ha緩衝地域2.01 ha)である。 2-3 関吉の疎水溝 Shuseikan / Sekiyoshi Sluice gate of Yoshino leat (ID1484-008) 1852年建設され集成館事業水車動力用水路跡。現在の鹿児島市下田町関吉にある稲荷川上流から取水し、吉野町地区集成館まで送水した。もともと島津氏庭園である仙巌園水路吉野疎水)が設けられていたが、それを島津斉彬の命により改修した。現在は一部灌漑用水として利用されており、取水口集成館内の水路などが現存する。登録面積は0.11 ha緩衝地域1.93 ha)である。

※この「エリア2 鹿児島」の解説は、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の解説の一部です。
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