エリア2 鹿児島
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「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の記事における「エリア2 鹿児島」の解説
地図 No. 名称 所在地 概要 2-1 旧集成館 Shuseikan (ID1484-006) 鹿児島県鹿児島市 欧米列強に対抗するため、薩摩藩主島津斉彬は1851年から現在の鹿児島市吉野町磯地区に工場群を設けて軍事強化と産業育成を図った(集成館事業)。製鉄・造船・紡績など幅広い分野を手掛けた。1863年の薩英戦争や1877年の西南戦争では被害を受けその度に再興したが、1915年に廃止された。国の史跡に指定。登録面積は9.98 ha(緩衝地域61.09 ha)である。 旧集成館反射炉跡 反射炉下部の遺構。佐賀藩が有していたオランダの技術書の日本語訳を基にしつつ、在来工法による石積みや薩摩焼の技術を用いた耐火煉瓦製造など、和洋折衷の技術で反射炉が建設された。 旧集成館機械工場 金属加工や船舶の修理、部品加工が行われた機械工場。建物は国の重要文化財。薩英戦争により初期の集成館は一度焼失する。その後島津忠義は、幕府直営の長崎製鉄所を手本に、オランダから工作機械を輸入して再興を行い、1865年に建物が完成した。1863年製造のオランダ製形削盤も現存しており、国の重要文化財に指定されている。「尚古集成館」として公開されている。 旧鹿児島紡績所技師館 イギリス人技術者の宿舎として建設された洋館で、洋風の外観ながら、柱には尺寸法が用いられたほか、屋根裏小屋組が和式であるなど、和洋折衷となっている。建物は国の重要文化財。島津忠義は、1867年に鹿児島紡績所を建設したが、その際イギリスから7名の技術者を招いて工場の設計と技術指導を依頼した。イギリス人技術者帰国後は、大砲製造の支配所などに使用された。1882年に鹿児島城本丸跡に移築され学校などに使用された後、1936年に再び現在の場所に移築された。「異人館」として公開されている。 2-2 寺山炭窯跡 Shuseikan/ Terayama Charcoal Kiln (ID1484-007) 1858年に建設された木炭製造用の石積み窯跡。国の史跡に指定(「旧集成館」の附(つけたり)としての指定)。集成館事業に必要な大量の燃料を補うため、島津斉彬の命により建設された。登録面積は0.64 ha(緩衝地域2.01 ha)である。 2-3 関吉の疎水溝 Shuseikan / Sekiyoshi Sluice gate of Yoshino leat (ID1484-008) 1852年に建設された集成館事業の水車動力用水路跡。現在の鹿児島市下田町関吉にある稲荷川上流から取水し、吉野町磯地区の集成館まで送水した。もともと島津氏の庭園である仙巌園へ水路(吉野疎水)が設けられていたが、それを島津斉彬の命により改修した。現在は一部が灌漑用水として利用されており、取水口や集成館内の水路などが現存する。登録面積は0.11 ha(緩衝地域1.93 ha)である。
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