エキスプロの設立
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1966年(昭和41年)、父・勘寿死去。その遺言により、『大怪獣ガメラ』で集まったメンバーで、造形会社「株式会社エキスプロダクション」を創設。 同年、『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』(田中重雄監督)、『大魔神怒る』(三隅研次監督)、『大魔神逆襲』(森一生監督)、東映京都の『怪竜大決戦』(山内鉄也監督)など京都・東京の撮影所にまたがってエキスプロで美術担当。特殊造形、美術だけでなく、特撮にも参加している。また円谷特技プロダクションのテレビ特撮番組『ウルトラマン』(TBS)の怪獣を数体担当。 1967年(昭和42年)、大映で『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(湯浅憲明監督)、テレビ番組では宣弘社の『光速エスパー(日本テレビ)、東映の『キャプテンウルトラ』(TBS)、東映京都の『仮面の忍者 赤影』(関西テレビ)などで特殊美術を担当。 1968年(昭和43年)、大映東京で『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(湯浅憲明監督)、大映京都で『妖怪百物語』(安田公義監督)、『妖怪大戦争』に参加。この「妖怪シリーズ」では多数の妖怪群の造形に携わる。 この年以降、エキスプロは韓国の「極東フィルム」制作の怪獣映画『大怪獣ヨンガリ』(キム・キドォク監督)に参加。韓国初の怪獣映画の特殊美術を務める。ほかに台湾でも『乾神大決戦』などで特殊美術を務める。海外へスタッフ総出で赴任しての作業のため、『ガメラ対大悪獣ギロン』、『ガメラ対大魔獣ジャイガー』(湯浅憲明監督)では敵怪獣は「開米プロダクション」にまかせ、ガメラのみ造形を担当。 1971年(昭和46年)、東映のテレビ番組『仮面ライダー』(毎日放送)にエキスプロとして参加。三上陸男、高橋章を美術デザイナーに据え、東映生田撮影所を拠点に、主人公ヒーロー「仮面ライダー」や敵組織「ショッカー」の美術造形全般の指導を行う。 続いて前澤範をエキスプロに迎え、『好き! すき!! 魔女先生』(朝日放送)や、『魔神ガロン パイロットフィルム』、大映最後のガメラ映画『ガメラ対深海怪獣ジグラ』(湯浅憲明監督)などに携わる。 1972年(昭和47年)以降、エキスプロで、ひろみプロの『サンダーマスク』(日本テレビ)、東映生田スタジオ作品の『仮面ライダー』、『超人バロム・1』(よみうりテレビ)、『変身忍者嵐』、『仮面ライダーV3』(毎日放送)、『イナズマン』(NET)、日本現代企画の『スーパーロボット マッハバロン』(日本テレビ)といった特撮番組に携わり、空前の「変身ブーム」を支えた。「変身ブーム」後も、『秘密戦隊ゴレンジャー』(NET)を始め、エキスプロで映画・TV番組・CM・各種アトラクション等で美術造形を手掛ける。 1980年(昭和55年)、徳間大映の『宇宙怪獣ガメラ』(湯浅憲明監督)で、約10年ぶりにガメラを造形。 1992年、次男・功に「エキスプロ」代表を譲り、同社会長を務めて後進の指導に当たる。 2008年7月31日、肺気腫により死去。享年82。
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