ウエザーマンによる攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 05:43 UTC 版)
「ウエザーマン」の記事における「ウエザーマンによる攻撃」の解説
1969年10月8日、287名の党員がボビー・シールやアビー・ホフマンら、アメリカ政府によって逮捕された7人の革命家(通称:シカゴ・セブン)の釈放を要求してシカゴでデモ行進し、4日間にわたって警官隊と市街戦を行った。この4日間は、「憤怒の日々」 (Days of Rage) と呼ばれている。なお、この前日にはシカゴ市内にある警官の像が爆破されており、暴動の「キックオフ」になったと考えられている。 12月6日、シカゴ市内に駐車してあった数台のパトカーを党員が爆破した。これは、12月4日にブラックパンサー党員のフレッド・ハンプトンとマーク・クラークが就寝中に警官に射殺されたことへの報復であった。 1970年2月13日、カリフォルニア州バークリーの警察署で、駐車されていた車両を爆破した。2月16日にはサンフランシスコ市内の公園にある交番で爆弾が爆発し、警官1人が死んだ。また、3月6日にはデトロイト市警第13分署で、党員が仕掛けた37本のダイナマイトが発見された。 5月10日、ワシントンD.C.にある州兵協会の建物が爆破された。これは、オハイオ州ケント州立大学でベトナム反戦デモをしていた学生に州兵が発砲し、4人が死んだことへの報復であった。7月27日、カリフォルニア州のプレシディオ陸軍基地が爆破されたが、これはキューバ革命11周年の「記念行事」だとされている。 10月8日、マリン郡のサンラファエル地方裁判所を爆破した。これは8月7日、ブラックパンサー党員ジョージ・ジャクソンの死刑判決に抗議して同裁判所に立てこもったジョナサン・ジャクソンらの殺害に対する報復であった。 1971年3月1日、アメリカのラオスに対する侵略に抗議してアメリカ合衆国議会議事堂で爆弾を爆発させた。同年8月29日にはジョージ・ジャクソンの処刑に抗議してカリフォルニア州の刑務局を爆破し、9月17日にはニューヨーク州オールバニの州矯正局をアッティカ刑務所で起きた暴動に対する武力鎮圧に抗議する目的で爆破した。 1972年5月19日、北爆の再開に抗議してペンタゴンの空軍担当区域の女性用バスルームで爆弾を爆発させた。この日はホー・チ・ミンの誕生日だった。 1973年5月18日、警官による当時10歳の黒人少年クリフォード・グルーバーの殺害に抗議してニューヨーク市警察第103分署庁舎を爆破した。同年9月28日、同月発生したチリ・クーデターに対する関与に抗議してニューヨークとローマの国際電話電信会社 (ITT) 本社を、翌1974年9月11日(チリ・クーデター1周年の日)には同じ目的でアナコンダ社を爆破した。 1975年6月11日、ニューヨークでプエルトリコ系のポンセ銀行を爆破した。ウエザーマン側は、プエルトリコでストライキ中だったセメント労働者への連帯の意思表示だとしている。
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