インディアンの支援を求めた交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 18:42 UTC 版)
「カナダ侵攻作戦」の記事における「インディアンの支援を求めた交渉」の解説
ニューヨーク植民地モホーク川流域に住むロイヤリスト(王党派)でイギリスのインディアン代理人だったガイ・ジョンソンは、ニューヨーク植民地のイロコイ族と極めて親密にしていたが、パトリオット(愛国者)側の意見がニューヨークで支配的であることが明らかになってからは、自身と家族の身を案じていた。もはやイギリスとの商売を安全に行うことができなくなったと確信すると、200人の追随者やモホーク族の支持者等とともにニューヨークの領地を離れた。まずはオンタリオ砦に向かい、6月17日にインディアン部族の指導者達(大半はイロコイ族とヒューロン族)から、この地域での物資と通信の供給線を途絶えさせないことと、「敵による困りごと」があるときはイギリスを支援することという約束を取り付けた。そこからはモントリオールに向かい、カールトン将軍や1,500名以上のインディアンとの会談で、同様な合意を交渉し、「いつでも臨戦態勢を取れるように」戦争の帯を配った。しかし、これら合意事項に加わった者の大半はモホーク族だった。イロコイ連邦の他の部族はこれらの協議を避け、中立であろうとした。会議後もモホーク族の多くはモントリオール地域に留まった。しかし大陸軍が1775年中に本当に侵略を開始するかが不確かに思えたため、その大半は8月の中旬までに故郷に戻った。 大陸会議はイロコイ連邦の6部族を戦争の局外に置いておこうとしていた。1775年7月、オナイダ族に影響力のあった伝道師サミュエル・カークランドが、「私たちはあなた方が故郷に留まり、どちらの軍にも加わらず、戦いの手斧を深く埋めておくことを望む」という大陸会議からの声明文を持って行った。オナイダ族やタスカローラ族は公式には中立を守ったが、オナイダ族では個人的にアメリカ側への同調を表明したものが多くいた。ジョンソンがモントリオールで会議を開いたという報せを聞いたスカイラー将軍はやはりオナイダ族に影響力があったので、オールバニでの協議会を招集し、8月半ばに開催した。この会合には約400人のインディアン(主にオナイダ族とタスカローラ族、さらに幾らかのモホーク族)が参加し、スカイラーと他のインディアン・コミッショナーがイギリスから植民地を分かつ問題を説明し、植民地人は自分達の権利を守る為に戦うこと、征服を意図しているのではないことを強調した。集まった酋長達は中立を守ることに合意し、モホーク族のある酋長は「これは家庭内の問題である」として、「じっと座ってあなた方が戦っているのを見る」ことにすると述べた。しかし、このように中立を宣言する一方で、アメリカ側からの譲歩を引き出しもし、その譲歩には彼らインディアンの土地への白人開拓者の侵入といった打ち続く苦情にアメリカ側が対処するという約束も含まれていた。
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