アングロ=ノルマン語の使用と発達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 15:41 UTC 版)
「アングロ=ノルマン語」の記事における「アングロ=ノルマン語の使用と発達」の解説
アングロ=ノルマン語文化圏の重要な作家にはジャージー生まれの詩人ウァースと、マリー・ド・フランスがいる。ノルマン朝期の文学は、後世のノルマン語文学にとっての文学的原点とされ、特に19世紀のノルマン文芸復興のさいや、20世紀に入ってもアンドレ・デュポン『コタンタン叙事詩』において、そのような見方が顕著であった。チャンネル諸島の言語・文学もアングロ=ノルマン語、アングロ=ノルマン文学と呼ばれることがあるが、これはチャンネル諸島をフランス語で「îles anglo-normandes(アングロ=ノルマンド諸島)」と呼ぶところから生じた誤解である。チャンネル諸島で話されるのは昔も今もノルマン語の方言であってアングロ=ノルマン語ではない。 イングランドにおいてアングロ=ノルマン語が主たる行政語となることはなく、中世のほとんどの時期において法律関係をはじめとする公文書の記録に用いられたのは主にラテン語であった。しかし13世紀後半から15世紀前半にかけて、アングロ=ノルマン語は、訴訟記録、契約書、法令、公用信、さらにさまざまなレベルでの交易語として非常に重要な役割を担った。アングロ=ノルマン語を媒介して、イタリア語、アラビア語、スペイン語、カタルーニャ語など、遠隔地域の外国語がイングランドに入りこみ、英語へ流入したことを示す証拠もある。 のちの時代の文書におけるアングロ=ノルマン語は、その後もフランス本国の言語変化を部分的に取り入れアングロ=ノルマン語としての多くの方言的特徴を失い、ためにしばしば綴りにおいて相違はあったものの、少なくともいくつかの点、いくつかの社会的状況においてフランス語の方言連続体の一部であり続けた。しかし15世紀後半までにアングロ=ノルマン語は独自の変化を遂げることになる(Law French参照)。この言語は19世紀末まで「ノルマン=フランス語」と呼ばれていたが、文献学的にはノルマン語的特徴を示すものは何もない。「ノルマン=フランス語」は次第に法律、行政、商業、科学の各分野に浸透した。それらの分野で残された多くの文献から、アングロ=ノルマン語の生命力と重要さをうかがい知ることができる。 政治面に与えた注目すべき影響のひとつとして、現在もイギリスの議会での法案承認や法制化勅許の際にアングロ=ノルマン語の定型文を用いることがある。たとえば以下のようなものがある。 Soit baille aux Communes(「庶民院に送付せしめよ」 貴族院から庶民院への法案送付時) A ceste Bille (avecque une amendement/avecque des amendemens) les Communes sont assentus(「この法案に(修正付きにて)庶民院は同意せり」 庶民院を通過した法案の貴族院への再送付時) A cette amendement/ces amendemens les Seigneurs sont assentus(「この修正に貴族院は同意せり」 庶民院から貴族院へ再送付された法案の修正部分が貴族院で同意されたとき) Ceste Bille est remise aux Communes avecque une Raison/des Raisons(「この法案は理由を付し庶民院へ差し戻す」 庶民院による修正部分に貴族院が同意しなかったとき) Le Roy/La Reyne le veult(「国王/女王そを欲す」 公法案勅許時) Le Roy/La Reyne remercie ses bons sujets, accepte leur benevolence et ainsi le veult(「国王/女王良民の奉仕を多としかくのごとく欲す」 歳出法案勅許時) Soit fait comme il est désiré(「望まるるがままになさしめよ」 私法案勅許時) Le Roy/La Reyne s'avisera(「国王/女王深慮せん」 勅許保留時) これら定型文は厳密には、s'aviseraが過去にはs'uviseraやs'advisera、ReyneがRaineと綴られたように、時代により綴りに異同がある。
※この「アングロ=ノルマン語の使用と発達」の解説は、「アングロ=ノルマン語」の解説の一部です。
「アングロ=ノルマン語の使用と発達」を含む「アングロ=ノルマン語」の記事については、「アングロ=ノルマン語」の概要を参照ください。
- アングロ=ノルマン語の使用と発達のページへのリンク