アイヴズ作品の受容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:42 UTC 版)
「チャールズ・アイヴズ」の記事における「アイヴズ作品の受容」の解説
アイヴズは生前、その作品がほとんど無視され、その多くが長年にわたって演奏されずじまいだった。不協和音を実験し、だんだんと多用していくようなアイヴズの傾向が、当時の音楽界の権威に好ましくないと受け取られたのである。主要な管弦楽曲におけるリズムの複雑さは、演奏に当たって困難をともない、そのため、作曲から何十年以上も経ってさえ、アイヴズの管弦楽曲を演奏しようとする意欲が殺がれてきた。アイヴズの意見によると、音楽を評価するうえで忌まわしい言葉の一つが「素敵nice」であり、「大人のように自分の耳を使え Use your ears like man」という有名なアイヴズ語録は、まるでアイヴズが自作の受容などどうでもよかったかのようである。ところが逆に、アイヴズは受けの良さを気にかけていた。 アイヴズの初期の支持者にヘンリー・カウエルやエリオット・カーター、グスタフ・マーラーなどがいる。アイヴズは、複雑な楽譜を出版する音楽雑誌社に融資し、およそ40年の間、ニコラス・スロニムスキーを指揮者とする演奏会を手配・後援した。 1940年代になると彼の無名状態はやや上向きになり、彼の作品を愛し、普及しようとしていたルー・ハリソンに出会う。とりわけ有名なのは、ハリソンが1946年に初演の指揮を執った交響曲第3番(1904年作曲)である。翌年、この作品はピューリッツァー賞に輝いた。しかしながらアイヴズは、「賞は坊やたちにくれてやるものだ。俺はもう大人だ」と言って賞金を分け与え(半分をハリスンに渡し)た。その後まもなくストコフスキーが、交響曲第4番を「アイヴズ問題の核心」と呼んで、これにとり組んだ。また1940年代には、CBS交響楽団の首席指揮者を務めたバーナード・ハーマンがアイヴズ作品の普及にとり組み、この間にアイヴズ作品の擁護者となった。 時が流れ、アイヴズはアメリカの独創的人物の一人と見なされるようになった。アイヴズは、芸術的な高潔さを認めたシェーンベルクや、ニューヨーク楽派の要人ウィリアム・シューマンによっても称賛された。現在では、指揮者のマイケル・ティルソン=トーマスならびに音楽学者のジャン・スワフォードJan Swaffordによって、熱心に支持されている。アイヴズ作品は、ヨーロッパでは定期的にプログラムに組まれている。 同時に、アイヴズは批判を招かずには済まなかった。その作品を、仰々しくて勿体ぶっていると感じる人は今なお多い。あるいはヨーロッパの伝統音楽の根源的な響きが、それでも現前としているというので、奇しくも、大胆さに欠けると見なす人たちもいる。ちなみに、かつての支持者エリオット・カーターは、アイヴズの作品を不完全であるといったことがあるが、これは芸術上の「父親殺し」の事例にすぎない。 この不完全と言う意味は特にその矛盾に満ちたスコアに対して言われる。演奏不可能のパッセージや2本や4本の管楽器を要求しているのにそれ以上を和音が書いてあったりするのが特徴であるが、作曲者は実際の演奏行為と言うものを考えないで作曲したためにそう言うことが頻繁に起こっている。また第二・第三・第四交響曲に見られる様に作曲者でも前後の関係のはっきりしない複数の版が存在する。作曲者はその間違った音符の楽譜を「すべて正しい」として校正しないで出版した。 一般素人的とも言えるプロの作曲家として経済的に全く成り立たないこう言う非常に大胆な態度はモートン・フェルドマンなどと同じく自分で別の会社を経営して成り立つ作曲行為であるが、アメリカの作曲界の革新性を一気に押し上げる事に貢献している。
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