佃の盆踊
名称: | 佃の盆踊 |
ふりがな: | つくだのぼんおどり |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 佃島盆踊保存会 |
選択年月日: | 1999.12.03(平成11.12.03) |
都道府県(列記): | 東京都 |
市区町村(列記): | 中央区佃 |
代表都道府県: | 東京都 |
備考: | |
解説文: | 佃の盆踊は、七月十三日から十五日の夕刻から夜半まで、伝承地である佃一丁目の路上において、櫓を中心に輪となって踊る盆踊であり、隅田川で水難にあった者の霊をなぐさめるために踊るとされている。 佃一丁目は、江戸時代初期、摂津【せつつ】佃村(大阪府大阪市西淀川区佃町)から江戸へ移り住んだ漁師によって拓かれた、約一〇〇間四方の埋め立て地である。佃の人びとは総じて西本願寺の信徒であり、明暦の大火によって移転を余儀なくされた西本願寺が、築地に完成した延宝八年(一六八〇)の盂蘭盆会に盆踊を踊ったことが始まりとされている。当時は江戸市中をめぐり、志を受け、それを西本願寺に奉納していたが、奉行所より市中勧化【かんげ】が禁止されたのに伴い、それ以後、地元の浜辺で踊ることになり現在に至っている。 輪の中心に組まれた櫓には音頭取りが上がり、太鼓で拍子をとりつつ踊歌を歌う。踊歌は七七調で歌われる口説【くどき】形式をとる。踊歌は口伝とされているが、明治年間の記録が残されており、それによれば、「秋の七草」「祇王【ぎおう】」「村づくし」「糸屋の娘」等が記載されている。踊歌の多くは仏の功徳を説くもの、色恋もの、数え歌が複合的に取り込まれた内容となっている。 踊りの振りは同じ側の手足を出して前後する、いわゆるナンバ振りの繰り返しである。手を軽く拳にし、ゆったりとした調子で前後し、歌の切れ目切れ目で軽く手を打つ。この振りについては、江戸時代初期、門徒講が二つに分かれて争ったとき、勝った一方が勝ち名乗りをあげ、右手に軍扇、左手に槍を持ち、傷ついた足を引きずって踊ったのが始まりであるとする伝承がある。 盆踊の最終日となる十五日には、大人は仮装をして踊るものとされてきた。数人でグループを作り赤穂浪士四十七士を装ったり、その時々の流行や世相を反映させた仮装が行われる。 以上のように、佃の盆踊は盆踊の変遷の過程を知るうえで貴重であり、芸態、扮装についても地域的特色が顕著である。 |
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