伯耆長瀬高浜遺跡出土埴輪
主名称: | 伯耆長瀬高浜遺跡出土埴輪 |
指定番号: | 420 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1986.06.06(昭和61.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | |
員数: | 一括 |
時代区分: | 古墳 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鳥取県の中部地域を流れる天神川は中国山地から日本海に注ぐが、その河口近くで海岸沿いに発達した北条砂丘(通称)を分断している。長瀬高浜遺跡は天神川の右岸、この砂丘上に位置する弥生時代前期から奈良時代及び中・近世にかけての複合遺跡で、昭和五十二年からの発掘調査で各種の遺構・遺物を検出した。本埴輪群の一括は、この時径約八メートルの不整円形を呈する土壙から出土したものである。土壙の埋土は上下二層に分かれ、下層には井戸遺構に伴う多数の土師器群を含み、埴輪群はこの上層から一部は樹立した状態で出土した。この遺構の性格は今ひとつ明らかではないが、埴輪の諸内容は古墳出土品と特に変わるところはない。しかし、円筒埴輪数に比して朝顔形埴輪の数量が圧倒的に多い等の特色も指摘でき、墳丘を巡る埴輪の通有なあり方と異なるのは注意を惹 こうした円筒形埴輪を除く埴輪群は甲冑、家形、盾、蓋等の形象埴輪に限って存在するが、この様相は古墳時代のうちでも比較的早い時期の遺品に共通する。この時期の山陰地方の埴輪に特に著しい遺品を見ないなかで、最もまとまりを持ったものであり、貴重な存在である。個々の形象埴輪のつくりや表現に特に精緻なとる埴輪の通有なあり方と異なるのは注意を惹く。山陰地方の古墳文化究明に欠かせない埴輪資料の一括として、その学術的な価値は高い。 |
考古資料: | 伊勢神島祭祀遺物 会津大塚山古墳出土品 伯耆国分寺古墳出土品 伯耆長瀬高浜遺跡出土埴輪 但馬城ノ山古墳出土品 佐井寺僧道薬墓出土品 佐渡新穂遺跡出土品 |
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