宍喰八坂神社の祗園祭とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 宍喰八坂神社の祗園祭の意味・解説 

宍喰八坂神社の祗園祭

名称: 宍喰八坂神社の祗園祭
ふりがな ししくいやさかじんじゃのぎおんまつり
種別1: 風俗習慣
保護団体名: 八坂神社祗園祭振興
選択年月日 1999.12.03(平成11.12.03)
都道府県(列記): 徳島県
市区町村(列記): 海部郡海陽町
代表都道府県 徳島県
備考
解説文: 徳島県宍喰町八坂神社祇園祭は、毎年七月十六日十七日の両日行われ十六日宵宮十七日が本祭である。この祭りは、ほぼ宍喰町全域人びとによって行われ、その組織大きく町方宍喰浦西分漁業中心とした浜分、農業中心とした郷分と呼ばれる三つ分けられている。宍喰浦西分からは三台ダンジリ、浜分からは関船出され神輿担ぎ手も出る。郷分が大山小山組み立て巡行解体担当する宍喰浦西分には、かつて金幣担いで供奉した金幣きんぺい】組、かつての山仕事仲間鍛冶屋仲間組織する住【わしずみ】組、商人たち組織する商人あきんど】組の三つの組が存在し、各組単位ダンジリ出している。この祇園祭は、郷分、浜分などという地縁的組織と、宍喰浦西分の中の一種職能的集団共同して執行する大山小山は二台の鉾で、現在は大山前に小山後ろ連結して運行している。いずれも二層抜でシバ屋根を葺く屋台中央下層から立てられその先端にはササと呼ぶ青竹をつける。この中央付近には、大山には天秤で担ぐ姿の桂男が、小山には木製長刀なぎなた】が取り付けられている。この大山小山かつては一〇メートルくらいの高さがあったというが、現在のもの道路の上にかかる鉄橋の高さに合わせて造り以前のものより低くなっている。
 大山立てられている桂男着物海部町櫛川【くしかわ】の人たちによって奉納される着せ替えられた古い着物は同じ海部町野江【のえ】の人たちがもらって行き、小裂【こぎ】れにして家の玄関の上にはって災厄除けにする。
 十六日宵宮には、大山小山久保地区を除く郷分の農家の人たちによって組み立てられる曳き縄(綱)、青シバ同じよう農家の人たちが用意する組み立てられ大山小山午後に八幡通りの辻まで曳き出され据え付けられる。夕方になると金幣組、住組、商人組の三台ダンジリ一台関船せきぶね】が八坂神社社前練り込み一夜とどまる。
 十七日は本祭り朝一〇時ころから神社神事が行われ、子どもたちによる「先やり」「八橋やつはし】」「獅子舞」などが披露されるこの後境内お宮巡ってから「お浜出」をする。「先やり」を先導神輿囃子方続き、その周囲注連縄を手にした人たちが取り囲むようにして浜の戎神社に向かう。戎神社に着くと仮宮神輿安置して神事が行われ、しばらく休憩した後、稚児行列加えて八坂神社還御する。神輿八坂神社に戻ると、「獅子舞」などが披露され神社での行事は終わる。
 一方、「お浜出」の行列出発するとまもなく金幣組、住組、商人組の順で神社出発したダンジリ関船は、神社行事終了した後も町中巡幸している。八幡通りにとまっていた大山小山も、還御行列通り過ぎると神社向かって動き出す。これは久保青年たちが女装して曳くが、途中道筋の家から酒等が出されてなかなか先に進まない夕方ようやく八坂神社に着くとすぐ解体し格納庫にしまわれる組み立てのときとは異なり解体久保の人たちが行うことになっている町内巡行しているダンジリ関船それぞれの格納庫に戻るのは夜暗くなってからで、金幣組は八坂神社住組と商人組、それに関船八幡神社格納庫にしまわれる
 この祇園祭京都祇園祭山鉾地方的展開を示す重要なもので、祭祀組織地縁組織職能集団があるなど特徴みられる


このページでは「国指定文化財等データベース」から宍喰八坂神社の祗園祭を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から宍喰八坂神社の祗園祭を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から宍喰八坂神社の祗園祭 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

宍喰八坂神社の祗園祭のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宍喰八坂神社の祗園祭のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS