ごうだ‐てんのう〔‐テンワウ〕【後宇多天皇】
後宇多天皇
後宇多天皇
院政を行っていた後嵯峨上皇が没すると鎌倉幕府は亀山天皇を冶天の君とした。
この後しばらく亀山天皇の親政となったが、8歳の世仁親王が即位して後宇多天皇となった。
亀山天皇は上皇として院政をおこなった。
この後宇多天皇のとき、すなわち文永11年(1274年)10月に元と高麗の連合軍が対馬を襲撃しさらに壱岐を急襲した。
ついで九州の博多湾西部に上陸し幕府軍と激しい戦闘となった。
戦闘は武器や戦いの方法などの違いにより日本側に不利であったが、大風いわゆる「神風」が吹き元・高麗連合軍が撤退したという。
日本は蒙古の再来に備えて武士の結束をはかり異国警護番役を設置した。
弘安4年(1281年)に元の軍隊が再来襲した。
しかし、再び嵐が吹き元軍は撤退した。
後宇多天皇は1287年に後深草天皇の第二子の伏見天皇に譲位し院政をおこなった。
第91代天皇 | |
天皇名 | 後宇多天皇 |
読み方 | ごうだてんのう |
名・諱等 | 世仁親王 |
読み方 | よひとしんのう |
時代区分 | 中世 |
天皇在位 | 1274年から1287年 |
生年 | 1267 |
没年 | 1324 |
父 | 亀山天皇 |
母 | 洞院キッ子 |
兄弟 | 良助法親王・恒明親王 |
配偶者 | レイ子内親王 |
皇子女 | 邦冶親王・尊冶親王 |
即位宮 | 平安京 |
天皇陵 | 蓮華峯寺陵 |
所在地 | 京都市右京区北嵯峨朝原山町 |
後宇多天皇 蓮華峯寺陵
(ごうだてんのう れんげぶじのみささぎ)
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