かつて安田系だった企業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 01:26 UTC 版)
小湊鐵道(小湊鉄道) 元安田財閥系、戦後京成電鉄傘下に入るも諸事情により資本独立、同じ安田系の九十九里鉄道と株式持合いへ。 昭和海運 日本油槽船(旧安田・旧富士銀系)と日産汽船(旧日産・旧興銀系、旧富士銀とも親密)とが対等合併して誕生。平成のバブル崩壊により経営悪化、準主力行である旧興銀の介入により日本郵船へ吸収合併。 日之出汽船 現在のNYKバルク・プロジェクト。元大倉財閥→浅野財閥系で戦後は旧安田系へ傾斜。上記会社と同様バブル崩壊により昭和海運傘下へ。現在は日本郵船の完全子会社。 平岡証券 新光証券系の中堅証券会社。昭和後期より旧富士銀行グループとともに傘下に収めていた。しかし、平成不況や21世紀初の金融恐慌(リーマン・ショック)で経営・財務状況等が悪化。結局、2002年10月に同じみずほフィナンシャルグループと親密である藍澤證券(アイザワ証券)に吸収合併。 キンセキ 後の京セラクリスタルデバイス。元沖電気工業(OKI)グループの一員で、水晶振動機を中心に展開した精密機械メーカー。親会社(OKI)の経営方針等で同社保有株式を大口取引先の一社であった京セラが肩代わり。のちに株式交換により完全子会社化、前述の社名に変更したが、2017年4月1日に京セラに吸収合併。 中国鐵道(岡山県) 元安田財閥系中国鉄道初代社長杉山岩三郎、大株主として安田善次郎も名前を並べていた。中国鉄道の主力銀行の二十二銀行を安田銀行が支援した。1909年(明治42年)安田善三郎が取締役就任。1913年(大正2年)初代杉山岩三郎死去後善三郎が社長に就任。杉山家からの依頼で杉山家保有株式を保善社が譲り受け、実質的に安田経営に入る。1944年(昭和19年)6月に鉄道省に買収されるが、1930年(昭和5年)よりバス部門も兼業していたため、買収後は中鉄バスとして今日も岡山県民の足として欠かせない企業グループとして現在に至っている。 水戸鉄道(2代) 前身の太田鉄道は水戸市と久慈郡太田町(現常陸太田市)を結ぶために建設された鉄道で開業当初から経営不振であり債権者の十五銀行が設立した水戸鉄道(2代)に譲渡され、1907年(明治40年)8月安田家が全株(2600株)を取得。役員に太田弥五郎(善次郎の妹婿)、杉田巻太郎、藤田善兵衛、安田善之助、安田善彦が就任した。以降経営は順調であったが1927年(昭和2年)12月1日に国有化され水郡線となる。会社は解散した。
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