大原幽学遺跡とは? わかりやすく解説

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大原幽学遺跡
旧宅、墓および宅地耕地地割

名称: 大原幽学遺跡
 旧宅、墓および宅地耕地地割
ふりがな おおはらゆうがくいせき きゅうたく、はかおよびたくちこうちちわり
種別 史跡
種別2:
都道府県 千葉県
市区町村 旭市
管理団体 旭市(昭32・6・3)
指定年月日 1952.10.11(昭和27.10.11)
指定基準 史6,史7,史8
特別指定年月日
追加指定年月日 平成21.07.23
解説文: 大原幽学各地遊歴研鑽性学性理学)を唱導し、天保初年房総来り、特に北総の間に多数信奉者得た
天保十三九月長部村(現大字長部)八石に居を定め次いで講堂改心営まれた。その説くところは生活諸般改善にも及び、特に先祖組合創設土地交換分合農村維持寄与するところが多かった嘉永五年幕府嫌疑受けて訊問数ケ年に及び安政年末百日謹慎改心の取毀を命ぜられた。翌六年正歸宅三月八日御塚の地において自殺した墓表として、もと植えられていたが大正十一年石の墓表改められた。旧宅台地縁辺にあり、山林土地切り開いて営まれ平家建八畳二間台所を附した簡素な建物天保十四年に建てられ幽学の設計にかかる。改心の跡はその西方にあり、この地には幽学の死後性学修業者のために弁当所が建てられた。更にこの北西略々方形の削平地がある。また旧宅北東にあたり明治五年二代遠藤亮規が性学研究者のための教会所建てた跡がある。長部民家はもと台地上に集り地の利悪るく、ために幽学は土地交換分合行い二軒台地の裾に分散せしめ、耕地はその前面移した。その遺構所在見られるが、指定地旧宅台地の裾にあり、宅地耕地を含むこの耕地区劃は幽学自らの設計にかかり短冊状に劃された畦畔整然と並んでいる。性学心学類し、必ずしも時に時流に擢んでたものとは称し難いかも知れないが幽学がよく実践移して教化の実を挙げたばかりでなく、生活の拔本的更生にも成功したことは高く評価せられるべく、遺跡また間間改造のあとはあるがよく旧態をとどめ、学術産業に関するものの好例として価値がある
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