おおすみの打上げとは? わかりやすく解説

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おおすみの打上げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:38 UTC 版)

日本の宇宙開発」の記事における「おおすみの打上げ」の解説

1960年代にはこれまで採取されていた情報から『人工衛星計画試案』が立てられた。これに伴ってカッパロケット後継となったラムダロケット開発始まり打ち上げに関する技術情報小型カッパロケットから取りつつ、より高高度への打ち上げを行うためにロケット研究が行われた。 1963年科学技術庁航空宇宙技術研究所設置した(以下、航技研と略す)。航技研宇宙に関する研究を行うことから、このころから国も宇宙開発徐々に力を入れ始めてきたといえる。しかしその後経過含めてみると、東大生産研系と航技研とで、宇宙関係航空関係住み分けという傾向のほうが強く、たとえば航技研機器衛星軌道上げられたものは「じんだい」など多くはなく、設備などそういった傾向があった(2003年組織としては統合される)。1964年には科学技術庁はさらに別の機関として「宇宙開発推進本部」を設置した東京大学では宇宙航空研究所設立された。ラムダロケット開発徐々に改良加えながら進み、高度2000kmに達するまでになり、衛星打ち上げ現実に近づいていた。当時ロケット開発において誘導制御軍事技術になると日本社会党指摘されたため(実際に日本の宇宙開発は、カッパロケット由来技術海外軍事転用されるという、甚大な国際トラブル火種になりうる危険が十分にあった事件起こしている)日本最初の人工衛星無誘導での軌道投入目指した。ロケット遠く飛ぶようになると近海で漁を行っていた漁業関係者との間で論争起こり一時停滞したまた、ラムダロケットによる軌道投入も4回も続けて失敗した。これはロケット分離する際に、燃料少量残り燃料となって下の段が上の段に追突し、揺さぶることが原因だった。これらによって得られ情報でさらにロケット改良した1970年2月11日全段無誘導L-4Sロケット5号機によって日本初人工衛星おおすみ打ち上げ成功したここまで国内技術だけで、ロケット人工衛星打ち上げ成功した日の丸小旗をもって待機していた町の人々は打ち上げ成功喜び沸いたおおすみ信号追跡協力したアメリカによっても捕らえられたが、電池高温電力失い翌日までにはおおすみからの信号捕らえられなくなったおおすみ自身宇宙航空研究開発機構設立される直前まで軌道上存在した

※この「おおすみの打上げ」の解説は、「日本の宇宙開発」の解説の一部です。
「おおすみの打上げ」を含む「日本の宇宙開発」の記事については、「日本の宇宙開発」の概要を参照ください。

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