『三国志』注についてとは? わかりやすく解説

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『三国志』注について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 02:48 UTC 版)

裴松之」の記事における「『三国志』注について」の解説

『三国志』の「注」は原編纂者陳寿記事に、陳寿採用しなかったものも含め異同のあるものも追記する方針付注された。これらの「注」は「裴松之注」(略して「裴注」)と呼ばれている。 史料良否はあまり気にせず取り入れている(「信用できない史料である」などと断りながらも載せている)ため、信憑性を問わなければ陳寿原著比べて読み物として面白くなったと言える。そのため講釈師話の種になり、そこから『三国志演義』誕生つながってゆくことになる。 また、追記した史料出典明記しているため、三国志同時代やその少し後の時代どのような史料あったか内容含めて知ることができるし、史料著者立場時代によって、どのように説や主張差異があるかを知ることもできる当然ながら、同じ事件であっても魏側の記録蜀漢、あるいは呉側の記録では基調明らかに異なっている。さらに、同時代史料と、魏の次代である西晋、さらにその後である東晋成立した史料とでは、事件対す受け止め方が異なるため基調異なっている。そうした基調変化対す比較検討材料を、三国志一部占める裴注として記録残したことで史料価値高めている。 例えば魏の曹髦殺され事件では、事件西晋建国した司馬氏が関わっているためか、陳寿記述ぼかしている。裴松之習鑿歯の『漢晋春秋』は関連資料中でもっとも成立が遅いが、記録され殺害顛末が一番まとまった内容であるとして、注の筆頭引用し続いて異説挙げている。このように付注により読者史料比較検討機会与えている。また、裴松之自説反す文献も注に引用しているので、裴注自体再検討もできる。 引用されている文献は、魏・呉・蜀漢の順に多い。ただし、本文分量対す割合では、魏・蜀漢・呉の順となる。裴松之東晋仕えたという経歴から魏を正統として扱い曹操太祖司馬懿宣王呼んでいる。陳寿に対して敬意を以て接しており、また蜀漢の特に諸葛亮にも好意的な態度が目立つ。同様に荀彧審配など国家主君忠義尽くした人間高く評価し、彼らへの異伝に対して感情的とも見え反論書き残している。『三国志演義』採用され蜀漢についての逸話は、多くを裴注に拠っている。しかし、後世盛んになった講談三国志演義など蜀漢正統論による創作では、裴松之注根底見られる陳寿への敬意引き継がれなかった(ただし、『三国志演義』刊本によっては「晋平陽侯陳壽史傳後學本貫中編次」(明の嘉靖年間版本)と、陳寿原作者として扱っているものがある)。

※この「『三国志』注について」の解説は、「裴松之」の解説の一部です。
「『三国志』注について」を含む「裴松之」の記事については、「裴松之」の概要を参照ください。

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