三国志演義など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 07:50 UTC 版)
小説『三国志演義』では、孫権が呉の国主となったときに集まった将軍の一人として名が挙がる。赤壁の戦いの時には、周瑜の部将として徐盛と共に登場し、東南の風を吹かせることに成功した諸葛亮の殺害や、孫夫人との婚姻のため呉を訪問した劉備の捕縛を命じられるが、いずれも失敗している。魏が侵攻してきたときには、徐盛の副将としてこれを迎え撃ち、張遼を射殺するという武功を挙げている。孫権の死後は、呉を代表する将軍の一人として活躍する。 民間伝説ではつぶての名手とされる。諸葛亮が丁奉らの元から逃げる際、腰に提げていた袋の中から鉄のつぶてを取り出して、諸葛亮の船の帆柱に照準を合わせて腕を振り上げると、空気を引き裂くような音がして、黒い塊が帆柱の先目掛けて飛んでいき、帆を引っ張る滑車に命中し、帆が落ちて諸葛亮の部屋の上に覆い被さった。趙雲は慌てて槍先でその帆を除けて諸葛亮を救い出し、船を捨て岸に上がると東南の方向に逃げていった、という話がある。今でも廟に祭られている丁奉の像には、ふたつの鉄のつぶてが握られている。
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