三国志演義における左慈とは? わかりやすく解説

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三国志演義における左慈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 17:32 UTC 版)

左慈」の記事における「三国志演義における左慈」の解説

小説『三国志演義』では峨眉山30年修行の末、石壁の中から遁甲天書3巻(天巻・地巻・人巻)を手に入れ方術使えるようになった描かれている。 左慈は、江東から華北向けて温州柑子運んでいた人々前に現れ荷物が重いと愚痴をこぼす声を聞くなり「ならば」と方術使い荷物軽くする。後で曹操がその柑子の皮を剥くと中身は空で、果肉一つも無いのだが、左慈が剥くと果汁滴る程で果肉はあるのである。 この事で左慈方術興味持った曹操が、左慈に飯を与えると酒5斗を飲んで酔わず、羊を1頭を食べて食べ足らないばかりか、その席で曹操翻弄し引退して天下劉備譲れ遁甲天書を譲ると言ったため、これに怒った曹操により投獄されてしまう。しかし何度拷問しても全然苦し様子もなく、呆れた執行人後で様子を見に行くと鎖が外れている。それならば今度何日食事与えなかったが、逆に生き生きとしていくのであるその後曹操により投獄され続けられるが、ある日曹操開いた宴に突如として現れ巴蜀地方手に入る酒・肉持ち込みを池に釣い、絵に描いた龍から肝で取り出し、簪で杯の酒を二つ割って飲み、さらに燃やした筈の孟徳新書出して見せという事をする。そして杯を宙に投げると一羽のになって左慈いつの間に姿を消してしまうのであるこのため曹操許褚命じて逃げた左慈追跡させる。程なくして許褚歩いている左慈発見するが、追いつこうとしても一向に距離が縮まる事はなく、全く追いつけない。やがて左慈が羊の群れ中に紛れ込んだが、どれだけ探して左慈の姿が発見できなかったので、許褚は羊を皆殺しにする。その光景見ていた羊飼い牧童泣いていると、「首と胴を元に戻せ」と左慈の声が聞こえたため、牧童その様にすると羊は全て生き返り平然と動き出すのである。 この報告受けた曹操似顔絵撒いて左慈を探させ、発見次第首を刎ねようと考える。左慈がすぐに発見されるが、同じ顔の左慈引き出される2・300人にも上ってしまったため、曹操全員首を刎ねさせる。すると斬られた首が青い煙となって昇り瞬く間左慈の姿となる。左慈白鶴呼び寄せその背中乗り曹操の死を予言して何処かへと去ってしまうのである。そして激し突風が吹くと、首を刎ねられた死体一斉に曹操襲い掛かり曹操昏倒し病に伏してしまった事にされている。

※この「三国志演義における左慈」の解説は、「左慈」の解説の一部です。
「三国志演義における左慈」を含む「左慈」の記事については、「左慈」の概要を参照ください。

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