三国志演義における左慈
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小説『三国志演義』では、峨眉山で30年の修行の末、石壁の中から遁甲天書3巻(天巻・地巻・人巻)を手に入れ、方術が使えるようになったと描かれている。 左慈は、江東から華北に向けて温州の柑子を運んでいた人々の前に現れ、荷物が重いと愚痴をこぼす声を聞くなり「ならば」と方術を使い、荷物を軽くする。後で曹操がその柑子の皮を剥くと中身は空で、果肉は一つも無いのだが、左慈が剥くと果汁が滴る程で果肉はあるのである。 この事で左慈の方術に興味を持った曹操が、左慈に飯を与えると酒5斗を飲んでも酔わず、羊を1頭を食べても食べ足らないばかりか、その席で曹操を翻弄し、引退して天下を劉備に譲れば遁甲天書を譲ると言ったため、これに怒った曹操により投獄されてしまう。しかし何度拷問しても全然苦しむ様子もなく、呆れた執行人が後で様子を見に行くと鎖が外れている。それならばと今度は何日も食事を与えなかったが、逆に生き生きとしていくのである。 その後も曹操により投獄され続けられるが、ある日、曹操が開いた宴に突如として現れ、巴蜀の地方で手に入る酒・肉を持ち込み、鱸を池に釣い、絵に描いた龍から肝で取り出し、簪で杯の酒を二つに割って飲み、さらに燃やした筈の孟徳新書を出して見せるという事をする。そして杯を宙に投げると一羽の鶴になって、左慈はいつの間にか姿を消してしまうのである。 このため曹操は許褚に命じて逃げた左慈を追跡させる。程なくして許褚は歩いている左慈を発見するが、追いつこうとしても一向に距離が縮まる事はなく、全く追いつけない。やがて左慈が羊の群れの中に紛れ込んだが、どれだけ探しても左慈の姿が発見できなかったので、許褚は羊を皆殺しにする。その光景を見ていた羊飼いの牧童が泣いていると、「首と胴を元に戻せ」と左慈の声が聞こえたため、牧童がその様にすると羊は全て生き返り、平然と動き出すのである。 この報告を受けた曹操は似顔絵を撒いて左慈を探させ、発見次第首を刎ねようと考える。左慈がすぐに発見されるが、同じ顔の左慈が引き出される事2・300人にも上ってしまったため、曹操は全員の首を刎ねさせる。すると斬られた首が青い煙となって昇り、瞬く間に左慈の姿となる。左慈は白鶴を呼び寄せその背中に乗り、曹操の死を予言して何処かへと去ってしまうのである。そして激しい突風が吹くと、首を刎ねられた死体が一斉に曹操に襲い掛かり、曹操は昏倒し病に伏してしまった事にされている。
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