三国志演義における韓遂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 07:26 UTC 版)
小説『三国志演義』では、董卓残党との抗争時に馬騰の同盟者として登場し、史実と同様に昔馴染みの樊稠に見逃してもらっている。その後、赤壁の戦い時に群雄として健在である事が語られる。馬騰が謀殺された後、馬超の忠実な同盟者として「手下八部」(楊秋・侯選・張横・程銀・成宜・李堪・馬玩・梁興)を率いて曹操と戦う。しかし、手下八部の内の3名を失うなど苦戦し、最後は賈詡の離間の計に嵌まり、怒った馬超によって左腕を斬り落とされてしまう。その後は曹操に降伏して関内侯に封じられ、夏侯淵と共に涼州に留まる事になっている。また、年齢は史実と異なり40歳(172年生まれに相当)という設定である。
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