三国志演義における糜夫人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:10 UTC 版)
小説三国志演義においても、正史と同様に糜竺の妹として劉備の妻となる。劉備と曹操が敵対した際、曹操の侵攻により正史同様捕らわれの身となるが、以降は正史と異なり、捕らわれていた関羽が曹操の元を辞するに従い、共に離れている。その後は関羽や劉備らに同行し、劉備が荊州の劉表の元に身を寄せたことで、これに従っている。 劉備とその一団は劉表から新野城(現在の河南省南陽市新野県)を与えられその地に居住する。劉表の死後、曹操が荊州へ侵攻する懸念が高まると、新野を捨て襄陽(現在の湖北省襄陽市襄州区)、次いで江陵(現在の湖北省荊州市荊州区)へと落ち延びていく。 しかし、長坂に差し掛かったころ曹操軍に追い付かれてしまう。混乱した戦場の中で、糜夫人は幼い阿斗(後の劉禅)とともに劉備と離れ離れになる。見かねた趙雲が捜索救助に奔走し、糜夫人と阿斗を発見するに至る。だが既に、糜夫人は左腿を槍で突かれ負傷していた。足手まといになりたくないと、阿斗を趙雲に託し、井戸に身を投げ自ら命を絶ってしまう。
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