三国志演義の「鶏肋」とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 三国志演義の「鶏肋」の意味・解説 

三国志演義の「鶏肋」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 23:08 UTC 版)

鶏肋」の記事における「三国志演義の「鶏肋」」の解説

建安24西暦219)年、定軍山の戦いで蜀の劉備夏侯淵討ち取って漢中奪い漢中王を名乗ったことに魏王曹操怒り漢中奪還すべく彼自ら陣頭指揮執り出陣した。しかし、魏は蜀に敗れ曹操も矢が歯に当たるという危険な目に遭った曹操内心、兵を収めて帰ろう欲したが、蜀軍笑いものになることを恐れて決断できずにいた。 曹操夕食最中湯を食べながら、進退思案していた。そこへ夜の伝達事項聞き夏侯惇やってくる曹操夏侯惇前にしても上の空で、碗の中の鶏がらを見ながら「鶏肋鶏肋…」と呟く。意図分からぬまま夏侯惇全軍に「鶏肋」と伝達すると、楊修そそくさ撤退準備始める。驚いた夏侯惇理由を問うと「鶏肋あばら骨)は捨てるには惜しいものでありますが、食べて腹の足しになるほど肉がついておりません。魏王様はそれを漢中例えられました。即ち漢中惜しいが、今が撤退すべき頃合いであるとお考えかと存じます」と鶏肋解釈披露した夏侯惇は「お前は魏王心の内わかっているな」と感心して自分撤退準備始めた曹操は、全軍指図もないのに撤退準備をしていることに大い驚き楊修に対して「お前は何故流言広めて軍心を乱したのか」と激怒し楊修処刑し継戦告げた結局劉備に再び敗れた曹操楊修言葉思い起こし撤退決断すると、楊修遺体丁重に葬った

※この「三国志演義の「鶏肋」」の解説は、「鶏肋」の解説の一部です。
「三国志演義の「鶏肋」」を含む「鶏肋」の記事については、「鶏肋」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「三国志演義の「鶏肋」」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三国志演義の「鶏肋」」の関連用語

1
18% |||||

三国志演義の「鶏肋」のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三国志演義の「鶏肋」のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの鶏肋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS