三国志演義の王甫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:16 UTC 版)
小説『三国志演義』では、随軍司馬として関羽の補佐をつとめる。荊州を狙う孫権軍や、荊州守備を担当する配下の糜芳・傅士仁・潘濬に警戒して、趙累を起用するよう進言する。しかし関羽は特に心配せず、これらの言を採用しない一方で、有事に備えるために烽火台を作るよう王甫に命令している。その後、呂蒙により烽火台は押さえられ、荊州は陥落。関羽は、王甫の諫言を聞かなかったことを悔やむことになる。 王甫は麦城から逃れ出ようとする関羽に対して、間道は伏兵の危険があるため、街道を進むべきと諌める。しかし、またしても関羽はこれを聞こうとしない。仕方なく王甫は、周倉と共に麦城の留守を守ることになる。しかし、王甫の案じたとおり関羽は伏兵に捕われて、殺されてしまう。孫権軍により掲げられた関羽・関平父子の首級を見た王甫は、その後を追って櫓から身を投げ、自殺することになっている。また、周倉も自刎し果てている。
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