宋代の講談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 15:54 UTC 版)
宋代は都市の経済や文化が大いに発展した時代であり、南宋の首都杭州(臨安)の瓦市(盛り場)では、勾欄と呼ばれる寄席・見せ物小屋で、様々なジャンルの講談(説話)が語られた。講談の中には何日にも分けて興行される長篇のストーリーもあり、客の興味を引きつけるため、わざと話が盛り上がる場面で「続きはまたの日に」と終了して、翌日以降に再び聞きに来させる手法が用いられた。この講談形式から生まれたのが『三国志演義』などの章回小説と呼ばれる分野である。現行の『水滸伝』でも、その名残が見出せる。 元代に成立したと思われる講談師のタネ本である羅燁の『酔翁談録』には、題目だけで内容が残っていない作品を含め、多くの講談の筋がジャンル別に収められているが、その中で水滸伝故事に関連しそうなものがいくつか散見できる。「公案」(裁判もの)ジャンルにある「石頭孫立」「戴嗣宗」は現行『水滸伝』の好漢孫立・戴宗との関連をにおわせる。「朴刀」(剣劇もの)ジャンルには「青面獣」という作品があり、現行『水滸伝』の楊志のあだ名そのものである。また「桿棒」(決闘もの)ジャンルに収められている「花和尚」「武行者」もそれぞれ魯智深・武松の通称として『水滸伝』でも頻出する表現である。こういった様々な講談の中から史実の盗賊「宋江三十六人」と関連づけられたヒーローもあり、南宋末には宋江三十六人のメンバーも固まりつつあったと見られる。
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